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秋田県立大学 金澤伸浩准教授

日時:2012年1月9日(月・祝)13:00~14:30
対象:秋田県立大学 金澤伸浩准教授
聞き取り調査者:角田季美枝、角田尚子、梅村松秀、吉村和哲

1. 金澤さんの自己紹介とリスクに対する関心をお聞かせください。

13年前、化学会社から秋田県立大学に転職しました。専門は水環境ですが、講義の中で「リスク」を扱うので、リスクマネジメントなどを独学した者で、リスク学の専門家という意識はありません。

現実をみていますと、化学物質やBSEなど、ささいなことが社会問題化し、風評被害や無駄な社会コストが生じるケースが繰り返されています。それはなぜなのかを考えてみますと、「科学リテラシー」の不足のほか、「リスク」で考えないことによって、怖がる必要のないことに怖がったり、自分でリスクを判断しないで、他人に判断を委ねてしまう状況があるからではないかと思います。

なぜそうなってしまうのかを掘り下げてみますと、確率としての「リスク」という考え方自体を日本人が理解していないのではないか。さらに考えていくと、日本の教育で、「リスク」について教えられていないからではないかと考えました。幼稚園以降の教育内容を定めている文部科学省の学習指導要領を調べてみると「リスク」の概念は出てきません。ただ、学習指導要領の今回の改訂で、高校の工業に「環境工学基礎」が新設され、ここで初めて「リスク」という用語が登場しています。この現状では「リスク」がわからないのは当然ではないかと思います。

一方、政府は食品や原発の関係などではリスクコミュニケーションをしています。リスクコミュニケーションのガイドも出されていますが、うまくいっていない。原因については色々指摘されていますが、リススを理解する基礎知識が教育されていないことが原因にあるのではないか、つまりリスクの基礎を教える教育の普及がブレークスルーになるのではないかと考えています。

しかし先のように正規教育の中に含まれていないのですから、そうであれば、「外」からの教育プログラムとして普及していくのが良いのではないか。ただ、リスクに関する本はすでに山ほどあって、それを紹介したところで効果がないのは明らかです。そこで、環境教育で行われる体験学習法でリスクを教えられないか。そう考え、あれこれ教材を探して出合ったのがPLTのFocus on Riskでした。なぜ日本語がないのかとERICに尋ね、必要性を訴えて翻訳プロジェクトを立ち上げていただき、現在に至っています。内容は十分とは思いませんが、まずはここから始めたいと思っています。

今回の東日本大震災では、本当に切羽詰まった状況では個々人がリスクを判断して行動された様子が多く伝わってきました。つまりリスクが全く使われないわけではなさそうです。一方で、一律な対処によって、個人の選択肢を狭めてしまう政策、個人の判断を許容しない政策がありはしなかったでしょうか。たとえば、放射線を恐れて体の不自由なお年寄りを避難所に連れて行くことは、個人のリスク(エンドポイントは死亡)を増大させる場合があると思います。避難すること自体のリスクが高いのにそれを強要する。それは社会の損失につながることです。

政府や行政がするのは必要最低限で、基本は個人がリスクを判断して、自由裁量で行動できるようになる方が経済的にも効率的でないかと思います。個人が行うリスク判断に合理性があるのなら、それをできるだけ尊重して追加で個々に対応する、その方が満足度が高く、経済的にも効率的になることはないでしょうか。

これを実現するには、個人が科学観をもち、リスクを判断し、意思決定できるようになる必要があります。現在は国民が政府などにリスクの判断を委ねてしまう、権威に依存する傾向もあります。それらを改善していくために、リスク教育が必要なのです。


2. リスク教材開発のガイドラインVer.1.1についてのご意見をお聞かせください。
(ガイドライン)
(ア)科学観を伝える教材であること。
 (1)科学の答えは一つではない。
 (2)近代科学技術社会におけるリスクとは何か。
 (3)科学的証明、根拠以外の価値観があることを伝える。
 (4)生徒一人ひとりに科学観を育てる。
(イ)シチズンシップを育てる教材であること。
 (1)政治的リテラシーを育てる。
 (2)公共心、参加、貢献を育てる。
 (3)コミュニケーション能力、対立の扱い方を学ぶ。
 (4)社会的合意形成の方法論を学ぶ。
 (5)アドボカシー、社会的提言の態度・姿勢・行動を育てる。
(ウ)思考スキルを育てる教材であること。
 (1)メディアリテラシーを育てる
 (2)12のものの見方・考え方のような分析の力を育てる。
 (3)PLTの高次の思考スキルをカバーする。
 (4)経験学習的アプローチで、体験から学ぶ力を育てる。
 (5)全体言語主義によって、心・からだ・頭を統合した学びであること。
(エ)社会とリスクの関係について学ぶ教材であること。
 (1)過去の共有~リスクを巡る対立の歴史~分権、フィールド調査、もの、人
   1)「水俣病」、「BSE」など、なぜ経験から学べないのか
 (2)現状分析
   1)核燃料サイクルのジレンマ
   2)適応的対策力をつけるには
 (3)未来のビジョン
 (4)行動計画

ガイドラインを拝見して「リスクに関する話がぽこっと抜けている」というのが第一印象でした。これはリスクコミュニケーションというより、科学コミュニケーションのガイドラインではないかと感じました。「リスク」という言葉が出てくるのは(エ)のみです。

私はリスク評価なしにリスクコミュニケーションはありえないと考えています。
リスクの概念を理解するには
・リスク
・ハザード
・エンドポイント
の3つを学ぶことが必要で、そのうえで
リスクアセスメントを行い、意思決定をするという流れです。その過程でリスクコミュニケーションがあります。それらがガイドラインには必要と思います。

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また、メディアリテラシーも重要です。リスクアセスメントで数字は出ますが、同じ数字でも人によってどう判断するかは違いますし、故意に異なった認知をさせることもできますので、マスメディアのリテラシーやリスク認知のバイアスについての教育は必要と思います。

Focus on Riskには、リスク、ハザードなどの用語や、リスクアセスメントについては紹介されていますが、リスク認知のバイアスの内容はありませんので、補足する必要があると思っています。

リスクの理解には段階があると思います。第一段階は「ハザードが理解できる」、第二段階は「リスクを正しく理解できる」、第三段階が「リスクに基づいて行動できる」です。リスク教育において、第一段階はいいのですが、足りないのは第二段階と第三段階です。Focus on Riskは第三段階を狙い、そのために第二段階を扱っていますが、まずはそれで良いと思います。

リスクという言葉はいろいろ使われていますが、それぞれ意味が異なっていて、理解を難しくしていると思います。

経済学、金融の領域ではリスクは結果の不確実性の意味で使われています。リスクの大きさは、被害を被るあるいは利益を得る不確実性の大きさを示します。大きく得をするかもしれないけれど大きく損をするかもしれないもの、つまり確率的な変動の幅が大きいものをリスクが大きいという。

化学物質のリスクというときは、不確実性はありますが、発がん性など結果(エンドポイント)の程度を固定して、その発生確率をリスクと呼びます。
工学のリスクは被害の程度×発生確率で表されます。(*1)

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(出典)金澤伸浩「第15章リスクの基礎知識」、秋田県立大学経営システム工学科編『経営システム工学とその周辺』横浜図書、2011年、p.191を改変。

一般にいまリスクマネジメントといわれているものは、実際はハザードマネジメントをしているものが多いと思います。生産現場では被害の程度と頻度を横軸と縦軸にとって、3×3の9段階のリスク・マトリックス表を作り、リスク評価を行うことはありますが、せいぜいその程度です。多くは直感でリスクを判断してハザードの善し悪しを決めてしまう。リスクを算出したり比較したりするリスクアセスメントを行わないにも関わらず、リスクマネジメントと称するケースは多くあります。

リスクコミュニケーションの教材のガイドラインに戻りますと、よく見れば(ア)(3)はリスク認知についての内容です。(ア)(4)は意思決定に関係しています。リスク教育の教材として必要な部分は入っていますが、分散してしまっていて、やはりリスク教育というより科学リテラシー教育ガイドラインのように見えます。リスクの観点から並び替えや簡素化ができるのではないかと感じます。


3. 大学教育の目標は何かについてのご意見についてお聞かせください。(教養、専門家養成において何に重きを置いていくべきか)

大学教育の目標は1つではありません。大学の置かれている立場、個人によって異なります。

私が在籍している秋田県立大学のような地方大学に求められることの一つは、地域への貢献です。首都圏の大学とは違い、地方大学にはフィールドがありますので、海外、国際も大事ですが、その前に地元地域を見ることは当然で地域貢献は核だと思っています。

「立派な研究者を育てる」ことを目標に教育しても、実際に就職して研究者になる学生はそう多くありません。研究だけできる人を育ててどうする?ということです。もちろん、研究力をつければ、様々なところで応用はききます。しかし、研究しかできない人を社会は求めていません。

分野かまわず、自分なりに探求できる、自分なりの答えを引き出せる人を育てることは大学の役割と思います。

研究と社会への貢献とバランスを考えながら地域にかかわっていくような人材育成、教員が大学の外に関わる、大学の外への発信が大事だと思います。

教育に関して、制度を改善することも大事ですが、個々の学生の意識、価値観が変わることも必要です。「いい世の中とは?」、「何のための勉強?」、「自分が幸せに思えることは何?」などの問いに自分自身の解が持てるようになって欲しいです。

質の高い教育のためには、教育だけやっていたのでは行き詰ります。バックグラウンドとして教育者が自分の研究をもっていないとだめだと思います。研究や実践によって、科学観に魂が乗るというか、研究と行動の双方が教育のバックグラウンドに必要だと思います。つまり、何に重きを置くかと言うより、これらのバランスが大事だと思います。


4. 北海道大学など国際的な大学の連合体で、大学がESDを取り組むために作成している自己評価のガイドライン(the AUA Model)に関するご意見についてお聞かせください。
(英語版)
http://www.sustain.hokudai.ac.jp/aua/
(日本語版)
http://www.sustain.hokudai.ac.jp/aua/jp/

評価するのは大変むずかしいと思います。
点数化するのであれば、自己採点して、その結果を公開して、点数の経年変化やどのような自己採点しているのかを見て、大学が改善されているかどうかを社会が見ていけるような仕組みにしていくのがいいのではないでしょうか。

(注)
*1 詳しくは金澤伸浩「第15章リスクの基礎知識」、秋田県立大学経営システム工学科編『経営システム工学とその周辺』、横浜図書、2011年、pp.187-196、を参照。
*2 本稿は聞き取りをもとに角田季美枝が作成した草案を、金澤准教授に確認・加筆修正いただいたものである。

by focusonrisk | 2012-02-04 00:59 | 聞き取り調査