石井敦 東北大学東北アジア研究センター 准教授
実施日時 2011年8月9日 12:00-14:00
対象 石井敦 東北大学東北アジア研究センター 准教授
聞き取り調査者 角田尚子、つのだきみえ
点検の視点資料「環境教育としてのプログラム評価の視点」第一次とりまとめ
以下は、速記録からのまとめです。
1.現在の日本社会におけるリスクコミュニケーションについて、何が課題だと思われますか。
日本社会においては、「建前」と「本音」の乖離が激しく、また乖離していることが制度化されていると思います。乖離していることが常態であるのです。
そのために、本当に必要な公共領域の議論が成立していない。
例えば捕鯨問題について見てみましょう。
「南氷洋には76万頭のミンククジラがいる」というような報道をメディアがする。そのことはIWCの科学委員会で根本的な見直しが行われているのに、その報道姿勢を変えない。実際にIWCの科学委員会が報告したことは、「50万頭から110万頭の間のどこかに実数がある」ということで、基本的にはわからないことが多い。しかし、日本のメディアはその中間値をとって、「南氷洋にクジラが76万頭」と報道する。そうするとその数字が一人歩きをして、「76万頭いるんなら、その1%以下の2000頭ほどとったって、大丈夫だろう」というような議論が展開されていく。
海洋野生動物の生息数調査の難しさやデータから読み取れることは何かということについてのリアリティを持った議論ができない。
研究者の役割として、科学コミュニケーションを成立させることに貢献できていない。
ウォルフレンが『人間を幸せにしない日本というシステム』で指摘しているように、リアリティをどう見るかが、管理されている。国の最高権力は国民に選ばれた国会にあると憲法に謳われていますが、実際には官僚が決定の最高権力を握っている。
官僚は、「自分たちは科学や法律に従って、立法しているだけなので、権力を行使しているのではない」と言います。「審議会」によって有識者らや利害関係者からの意見をもらって、決定しているにすぎないのだと。
調査捕鯨もIWCの条約8条に従って、実施している。100%合法に行なっていると強調していますが、パナマの裁判所では違法の判決が出ているとか、1946年に、たかだか10頭程度を捕獲することを想定して作られた条項であるものを、何百頭も捕獲しているとか、さらにワシントン条約に違反している可能性だってある。議論すべき点は多々あるのです。
そのようなリアリティから乖離した論理を普及させるべく、法律の読み替えを可能にするように科学的知見だけを使い、一般的な公衆の支援を作り出すメディアにもその知見だけを報道させる。
いま、日本のメディアが「客観報道主義」と自ら言っていることの現実は官庁と企業のプレスリリース中心主義であるということです。
「科学はひとつの正しい答えを持っている」というのは思い込みではなくて、そのように国民を育てること、「正しい」「客観的な事実」に基づいた政策を官僚が示し、政治家たちが選びとるようにしていく、そしてメディアが支配的な言説をくり返し、国民的合意を作り出していく。そのような体制になっていることが問題なのです。
このような制度化された乖離を見てきてしまうと、すべてが建前に思えてくる、建前を批判するものがすべて正しいと思えてくる。政府の立場に疑いが差し挟まれるようになると、批判する立場がにわかにポピュリズム的支援を受けるようになる。
それと、建前と実態が乖離すると、極端な現場主義が好まれるようになります。国際交渉であるならば、その現場に居合わせた人のコメントなどを尊重する。現場にいては反って見えなくなる背景や文脈などがあるので、第三者の視点は非常に重要なのですが、注目されにくくなる。
そして、政策について論じるのは官僚であることが非常に多い。社会科学者や人文学者が捕鯨についての政策論争に登場することはほとんどなかった。捕鯨であれば水産庁が説明する。
それが支配的な説明となっていく。捕鯨問題では、支配的な説明をくつがえそうとすると、日本政府批判になってしまう。
推進する側に都合のよいリアリティを作り出すように世論を操作してしまうと、それがうまく行っているときは、効果的なのですが、変えられなくなる。自分たちが一度推進した建前が、変化の足かせになる。
日本の意思決定過程は、アメーバ状態なのです。時々に、力を持つ人が替わる。同級生から言われたこととか、パーソナルなことによって動かされることもあるし、実権をもつ人が特定できない。
しかし、そこから出されてきた決定は「客観的な事実」ゃ「科学的根拠」に基づいたものだと、されなければならないのです。
ですから、「科学がはっきり正しい答えを出してくれる」という建前を維持しなければならなくなっているのです。
企業の人も「グローバリゼーションに対応する力」などと言います。それはとりもなおさず自分で考える人材を育てることです。ならば、企業文化において、自分たちの会社員も異議申し立てができる風土にしなければ、ならないはずです。
2. 日本社会の状況に対して、貴団体・組織がめざす貢献は何ですか?
大学教育の授業では、「わたしの論文を批判する」ことを課題に出します。社会科学も、科学であり、いま共有されている結果としての知見も、社会科学的なアプローチによって、実証され、確かめられてきた状況が背景にあるのです。もちろん、実験によって確かめることは社会科学の場合はほとんどできないし、「再帰性」によって調査者が研究対象を変えてしまうということが起こってしまうというところは自然科学と違いますが。しかし、それを補うための方法論はいくらでもあります。高校まで授業では社会問題を扱うことはありますが、教える内容がどのように明らかになったのかは全く教えず、単なる「暗記もの」になってしまう。
社会科学の考え方そのものは自然科学とまったく変わらないところが非常に多いのです。
マグロの資源管理の問題でも、「マグロが激減したから養殖」という純技術的解決とマグロを純生物学的に扱うマスコミ報道ばかりで、その間の、マグロをどのような政策のもとで管理するか、という報道はほとんどありません。
少なくとも、大学以降、高等教育においては、批判的に考えること、議論によって、現象と政策の間を埋めることを、実践的に取り組ませたいと思っています。
3. これまでの貴団体・組織の実践から、学んだこと、今後に活かしたいことは何ですか?
いま、変える手だては近くにあると思っています。原発の問題によって「専門家は信用できない」「対抗する知が必要だ」というようなことが共有されてきた。本当は前から必要だった大きなパラダイム・シフトが、ようやく今起こっているのだと思います。
故高木仁三郎さんのように、対抗知として市民科学を育てることに取り組んだ人もいます。市民一人ひとりができることはそのような対抗知を寄付によってサポートすることでもできるのではないでしょうか。
いま大切なことは、市民による対抗知を雲散霧消させないことです。
4. 今回わたしたちが開発しようとしている教材および人材育成プログラムについて、ご提案などございますか。
考える人を育てるためのものにしてください。
5. 特に、3.11以降、活動への影響には、どのようなものがございますか?
いまの状況そのものが、とてもたくさんの研究課題を示しくれています。できることから、自分の研究として、取り組んでいきたい。
批判をすることは、非常に建設的な意義を持っていて、今後、震災対応の政策について、系統的な批判を行っていく必要があると思います。
一人ひとりがいまの状況に関わっていることを知り、自分らしく関わることが大事なのだと思います。
【参考資料】
解体新書「捕鯨論争」 石井敦 編著、新評論、2011
対象 石井敦 東北大学東北アジア研究センター 准教授
聞き取り調査者 角田尚子、つのだきみえ
点検の視点資料「環境教育としてのプログラム評価の視点」第一次とりまとめ
以下は、速記録からのまとめです。
1.現在の日本社会におけるリスクコミュニケーションについて、何が課題だと思われますか。
日本社会においては、「建前」と「本音」の乖離が激しく、また乖離していることが制度化されていると思います。乖離していることが常態であるのです。
そのために、本当に必要な公共領域の議論が成立していない。
例えば捕鯨問題について見てみましょう。
「南氷洋には76万頭のミンククジラがいる」というような報道をメディアがする。そのことはIWCの科学委員会で根本的な見直しが行われているのに、その報道姿勢を変えない。実際にIWCの科学委員会が報告したことは、「50万頭から110万頭の間のどこかに実数がある」ということで、基本的にはわからないことが多い。しかし、日本のメディアはその中間値をとって、「南氷洋にクジラが76万頭」と報道する。そうするとその数字が一人歩きをして、「76万頭いるんなら、その1%以下の2000頭ほどとったって、大丈夫だろう」というような議論が展開されていく。
海洋野生動物の生息数調査の難しさやデータから読み取れることは何かということについてのリアリティを持った議論ができない。
研究者の役割として、科学コミュニケーションを成立させることに貢献できていない。
ウォルフレンが『人間を幸せにしない日本というシステム』で指摘しているように、リアリティをどう見るかが、管理されている。国の最高権力は国民に選ばれた国会にあると憲法に謳われていますが、実際には官僚が決定の最高権力を握っている。
官僚は、「自分たちは科学や法律に従って、立法しているだけなので、権力を行使しているのではない」と言います。「審議会」によって有識者らや利害関係者からの意見をもらって、決定しているにすぎないのだと。
調査捕鯨もIWCの条約8条に従って、実施している。100%合法に行なっていると強調していますが、パナマの裁判所では違法の判決が出ているとか、1946年に、たかだか10頭程度を捕獲することを想定して作られた条項であるものを、何百頭も捕獲しているとか、さらにワシントン条約に違反している可能性だってある。議論すべき点は多々あるのです。
そのようなリアリティから乖離した論理を普及させるべく、法律の読み替えを可能にするように科学的知見だけを使い、一般的な公衆の支援を作り出すメディアにもその知見だけを報道させる。
いま、日本のメディアが「客観報道主義」と自ら言っていることの現実は官庁と企業のプレスリリース中心主義であるということです。
「科学はひとつの正しい答えを持っている」というのは思い込みではなくて、そのように国民を育てること、「正しい」「客観的な事実」に基づいた政策を官僚が示し、政治家たちが選びとるようにしていく、そしてメディアが支配的な言説をくり返し、国民的合意を作り出していく。そのような体制になっていることが問題なのです。
このような制度化された乖離を見てきてしまうと、すべてが建前に思えてくる、建前を批判するものがすべて正しいと思えてくる。政府の立場に疑いが差し挟まれるようになると、批判する立場がにわかにポピュリズム的支援を受けるようになる。
それと、建前と実態が乖離すると、極端な現場主義が好まれるようになります。国際交渉であるならば、その現場に居合わせた人のコメントなどを尊重する。現場にいては反って見えなくなる背景や文脈などがあるので、第三者の視点は非常に重要なのですが、注目されにくくなる。
そして、政策について論じるのは官僚であることが非常に多い。社会科学者や人文学者が捕鯨についての政策論争に登場することはほとんどなかった。捕鯨であれば水産庁が説明する。
それが支配的な説明となっていく。捕鯨問題では、支配的な説明をくつがえそうとすると、日本政府批判になってしまう。
推進する側に都合のよいリアリティを作り出すように世論を操作してしまうと、それがうまく行っているときは、効果的なのですが、変えられなくなる。自分たちが一度推進した建前が、変化の足かせになる。
日本の意思決定過程は、アメーバ状態なのです。時々に、力を持つ人が替わる。同級生から言われたこととか、パーソナルなことによって動かされることもあるし、実権をもつ人が特定できない。
しかし、そこから出されてきた決定は「客観的な事実」ゃ「科学的根拠」に基づいたものだと、されなければならないのです。
ですから、「科学がはっきり正しい答えを出してくれる」という建前を維持しなければならなくなっているのです。
企業の人も「グローバリゼーションに対応する力」などと言います。それはとりもなおさず自分で考える人材を育てることです。ならば、企業文化において、自分たちの会社員も異議申し立てができる風土にしなければ、ならないはずです。
2. 日本社会の状況に対して、貴団体・組織がめざす貢献は何ですか?
大学教育の授業では、「わたしの論文を批判する」ことを課題に出します。社会科学も、科学であり、いま共有されている結果としての知見も、社会科学的なアプローチによって、実証され、確かめられてきた状況が背景にあるのです。もちろん、実験によって確かめることは社会科学の場合はほとんどできないし、「再帰性」によって調査者が研究対象を変えてしまうということが起こってしまうというところは自然科学と違いますが。しかし、それを補うための方法論はいくらでもあります。高校まで授業では社会問題を扱うことはありますが、教える内容がどのように明らかになったのかは全く教えず、単なる「暗記もの」になってしまう。
社会科学の考え方そのものは自然科学とまったく変わらないところが非常に多いのです。
マグロの資源管理の問題でも、「マグロが激減したから養殖」という純技術的解決とマグロを純生物学的に扱うマスコミ報道ばかりで、その間の、マグロをどのような政策のもとで管理するか、という報道はほとんどありません。
少なくとも、大学以降、高等教育においては、批判的に考えること、議論によって、現象と政策の間を埋めることを、実践的に取り組ませたいと思っています。
3. これまでの貴団体・組織の実践から、学んだこと、今後に活かしたいことは何ですか?
いま、変える手だては近くにあると思っています。原発の問題によって「専門家は信用できない」「対抗する知が必要だ」というようなことが共有されてきた。本当は前から必要だった大きなパラダイム・シフトが、ようやく今起こっているのだと思います。
故高木仁三郎さんのように、対抗知として市民科学を育てることに取り組んだ人もいます。市民一人ひとりができることはそのような対抗知を寄付によってサポートすることでもできるのではないでしょうか。
いま大切なことは、市民による対抗知を雲散霧消させないことです。
4. 今回わたしたちが開発しようとしている教材および人材育成プログラムについて、ご提案などございますか。
考える人を育てるためのものにしてください。
5. 特に、3.11以降、活動への影響には、どのようなものがございますか?
いまの状況そのものが、とてもたくさんの研究課題を示しくれています。できることから、自分の研究として、取り組んでいきたい。
批判をすることは、非常に建設的な意義を持っていて、今後、震災対応の政策について、系統的な批判を行っていく必要があると思います。
一人ひとりがいまの状況に関わっていることを知り、自分らしく関わることが大事なのだと思います。
【参考資料】
解体新書「捕鯨論争」 石井敦 編著、新評論、2011
by focusonrisk | 2011-08-20 07:40 | 聞き取り調査