日本科学技術ジャーナリスト会議(JASTJ)会長 武部俊一さん インタビュー
(特活)国際理解教育センター
日立環境財団プロジェクトチーム
聞き取り調査
実施日時 2011年8月1日(月)14:00~16:00
対象 日本科学技術ジャーナリスト会議(JASTJ)会長 武部俊一さん
聞き取り調査者 角田季美枝、梅村松秀
1. 現在の日本社会におけるリスク・コミュニケーションについて、何が課題だと思われますか。
・そもそも日本の社会に「リスク」という考え方が定着していないことです。いまだに「リスク」というカタカナで書いています。「危険性」と訳してしまうと、リスクの危険の側面だけしか表現できません。リスクは量的で確率的な概念ですから、低いリスクは安全性の尺度とも考えられます。
・リスクで考えるということは科学・技術報道にあたる基本の作法なのですが、ジャーナリストの姿勢としてまだ十分に身についているとはいえません。リスク報道に関する「行動基準」もありません。ジャーナリズムはニュースになるということを一番においています。リスクを敏感にとらえることは大きなニュースになりますが、それがすぎるとセンセーショナリズムにおちいります。
・リスクを受け入れる側には「リスクを教えてくれる/リスクから守ってくれるのは『お上』の仕事」という考え方があり、そのような土壌はジャーナリズムにもあります。そのため、何かあると「お役所の責任」という伝え方になってしまうのです。
・リスク報道にかぎりませんが、報道の原則は①ファクトを幅広く、具体的に伝える、②危険か安全かわからない場合は、危険面を重視する、③少数意見、弱者に焦点をあてる、です。そのためジャーナリズムのスタンスは権威や現体制に厳しいものになります。
・個人的に身の回りや旅行先で「警告・注意書き」の立札を写真で収集しています。日本では圧倒的に「立入禁止」「~してはいけない」が多い。一方、欧米では「あなたの責任で」「あなたのリスクで」という指示が多い。カリブ海のオランダ領アルーバ島の高さ50メートルほどの一枚岩の小山は綱を頼りに登るのですが、入口の看板は「この石段を登るのはあなた自身のリスクで」、ハワイのキラウェア火山の真新しい溶岩のそばには「ここから先は極めて危険。溶岩原は警告なしに崩れる」という立札(一部焼け爛れている)があるものの、「進入禁止」はありません。アリゾナの渓谷には「低リスク」という看板に「水辺の活動はあなたのリスクで。ここには救助員はいません」と添えられています。自己判断で、自己責任で、自然との付き合い方をしているのです。
・大災害になるような「兆し」は研究者の調査研究から示されていますが(今回の大震災でいえば、貞観地震の大津波、個人的に追究しているテーマでは小惑星の地球への衝突)、「いつ起こるかわからない」ものは新聞やテレビでも警鐘を鳴らすようなニュース報道ではなく、「こういう研究成果が出ました」的な話題もの記事になり、社会的な対策につながるような関心をもってもらえません。とくに行政には、「いつ起こるかわからないものに対策費用を多くさけない」と見過ごされる。阪神淡路大震災に関しても、1974年に地元の『神戸新聞』が、神戸直下地震の恐れを指摘する大阪市立大学の研究者の警鐘を1面トップ記事で報じていたのですが、20年間、自治体や建設業者が対応して都市の耐震化を進めることがないうちに、大地震に見舞われてしまった。
・豊かになったため、安全に対する要求度が上がったのかなとも感じます。たとえば1960年代、部分的核実験禁止条約を批准していなかった中国の大気圏内核実験によって、日本中に放射性物質が降下していました。内閣に放射能対策本部が設置され、実験後の放射能レベルを毎日のように発表していました。そのころのニュースでは「死の灰が降ってくる」「雨にあたると禿る」などと騒いではいましたが、その時のほうが一般の反応は冷静だったように感じます。リスクに敏感になるのはいいが、風評にあおられては困る。
・原子力発電所の過酷事故(シビア・アクシデント)対策については、メーカーの技術者たちが研究や情報収集を続けてはいましたが、安全はお金儲けにつながらないのに経費がかさむと社内で却下され、実装されなかったのです。チェルノブイリ事故後にEUが出した安全指針がありますが、それに習って日本で唯一対策がおこなわれたのはベントの設置のみです。マスメディアもその点をきびしく追及してこなかった。
・(武部さんがおられた朝日新聞社の場合:記録者注)原子力の安全性報道について、編集の現場にクライアントのクレームが入ることはありません。
2. 特に3.11以降、活動への影響にはどのようなものがございますか?
・現場の記者が取材で手一杯で動きにくくなったこともあり、JASTJではOBが中心になって原子力発電所の事故や津波など、いろいろな勉強会をするようにしています。
※記録者補足
ホームページによれば、実施された勉強会は以下。
・4月例会 4月27日 「地層が訴えていた巨大地震の切迫性~貞観地震津波の痕跡からわかること~」 講師:宍倉正展氏(産業技術総合研究所/活断層・地震研究センター海溝型地震履歴研究チーム長)
・緊急報告会 5月19日 「放射線健康リスク~福島からの報告」
講師:山下俊一氏(長崎大学大学院医歯薬学総合研究科附属原爆後障害医療研究施設教授)
・6月例会 6月14日 「日本的なシステムの諸問題」を語る
講師 内田樹氏(前 神戸女学院大学教授)
3. 日本社会の状況に対して、貴団体・組織がめざす貢献は何ですか?
・リスクは個人によってちがっています。個人で判断することが必要です。行動の選択肢をふやすためのデータを出すのがジャーナリストの役目です。3.11以降の話題では、低レベル放射線をどう考えるか、があります。どこかで線引きをしないといけません。リスクを受け止める覚悟が必要なのですが、わかったうえでの決定をひとりひとりができるよう報道していかなければなりません。
・放射線被曝で日常レベルで問題なのは医療被曝です。最近、被曝線量が高いCTが開業医にまで普及し、やたらに使うというような風潮にもなっています。この背景には、CTの購入の初期投資が莫大ということがあります。BSE対策で全頭検査の対策がとられましたが、JASTJ会員でもある唐木英明・東京大学名誉教授は論文「全頭検査神話」(『日本獣医師会雑誌』2007年6月号)で「消費者が望むのであればどんなに小さなリスクでも可能な対策はするべき」という行動を批判し、「対策を必要とするリスクは多い。科学的な正当性に基づいて費用対効果の計算を行い、リスクの相対的な大きさに応じたリスク管理を行うことが社会的公平につながる」としています。食品や健康にからむリスクは微妙な問題もありますが、相対的にリスクをみるという視点はリスク報道で配慮しなければならない視点です。
・リスクとの付き合い方に習熟するような社会にしていくことに貢献していきたい。そのために、さまざまなリスクに絡む研究者の研究調査のデータを、リスクに関する考え方をそえて報道していくのがいい。データは見る人が見ればわかるのです。
・記者の行動規範を作ったほうがいいという人もいますが、作ったとしてもジャーナリストは守りそうもありません。報道の自由は、基本的に制約や規制を嫌います。それぞれの記者や組織の自主的な判断と責任に基づいて報道姿勢を律するのがいいのではないでしょうか。そして読者や視聴者が監視し、きびしく選別すべきでしょう。
・日本科学技術ジャーナリスト会議として、会員同士が研究・調査・討論する勉強会、科学技術に関する「何でも検証プロジェクト」(※)をすすめており、原子力もテーマに加え、軽水炉、高温ガス炉、高速増殖炉、核融合について検証を進めて行く予定です。成果は、会議のウェブサイトで公表するほか、書籍として出版できればと思っています。
※記録者補足
日本科学技術ジャーナリスト会議で現在進行中の検証プロジェクトのテーマ
・スーパーコンピューター
・小水力
・耐震住宅
・ワクチン
詳細は日本科学技術会議のウェブサイトを参照のこと。
http://jastj.jp/?p=161
・日本ではいままで死亡事故でもないと問題にならず、解決に向かいませんでした(たとえば回転ドア)。文化として科学技術とつきあう覚悟のある社会にしていくことに貢献していきたい。そのような社会の原則は、正しい情報を十分与えられた上での自己決定です。科学技術の便益の裏に隠されたリスクをあばくのがメディアの役割だからです。
・リスク覚悟の社会構築には以下の条件を満たす必要があります。
--リスク情報が正確に、わかりやすく公開されていること
--情報の受け取り手が正しく理解して合理的な判断をすること
--リスクを最小限にする技術的、社会的仕組みが整えられていること
--個人的便益と社会的コストの間でバランスがとれていること
こうした点をデータに基づいて読者に伝えることがリスク報道に求められます。
たとえば、今回の震災でいえば、適切な避難を促す措置がとられたか、避難した人がもとに戻れない状況をどう報道していくのかがあります。三宅島の火山噴火のときも、本土に避難した住民がなかなか島に戻れなかった。日本では、お役所の判断に逆らって避難地域に残る人は非難されるような風土があります。「自分の判断で帰ってください」といえるような情報を提供していくことが必要ではないかと思います。アメリカのセントへレンズ火山が爆発したとき、山小屋のおじさんは政府勧告があったにもかかわらず自らの信念で残り、死亡しました。しかし国民からその行動を非難するような声は出ず、むしろ賞賛の声があがりました。
・低確率の天体衝突や長期的リスクの温暖化など宇宙・地球規模の人類全体の危機管理は科学的にもまだわかっていないことが多く、どのように備えるかを伝えることがむずかしいものです。ただ問題が起きてから対策をとるのでは手遅れです。わかっていることをふまえてわずかなリスクであっても「予防原則」にもとづいて報道することも必要です。
4. これまでの貴団体・組織の実践から、学んだこと、今後に活かしたいことは何ですか?
・いまから20年ほど前、アメリカで開催された環境報道のシンポジウムに参加したとき、環境保護庁(EPA)から、「環境報道を説明する」という小冊子が配られました。そのなかでジャーナリストの特性を「科学よりも政治にニュース価値を置く」、「安全よりも危険にニュース価値を置く」、「危険か安全かの二つに単純化する」、「記者は真実ではなく、見解を取材する」、「記事を特定の個人の話に仕立てる」と紹介していました。ニュース報道は意見を書かず事実を伝えるものです。しかし、これらの点はリスク取材・報道の欠点をよく突いているものとして、「リスク取材の戒め」としています。
・テクノロジー・アセスメントの制度化に資するような活動を進められたらと思っています。リスク・コミュニケーションはテクノロジー・アセスメントと表裏をなす活動です。科学ジャーナリストはテクノロジー・アセスメントの視点で報道していますが、現実には経済性のほうが大きく取り上げられて技術が社会に出てしまいます。科学ジャーナリストが技術の負の側面を伝えることが必要です。原子力はもとより、たとえばリニアモーターカー、ナノテクノロジー、携帯、コンピュータによる教育など。長い目で見た心身や環境への影響を伝える必要があります。
5. 今回わたしたちが開発しようとしている教材および人材育成プログラムについて、ご提案などございますか。
・初等教育、中等教育にリスクの考え方を入れることを進めていただきたい。それはリスク情報を評価すること、リスクに敏感に問題提起すること、リスクに慣れること、自分の身は自分で守ることを学ぶことです。低リスクに対するつきあい方が大事ということを学校教育で学んでほしい。
・最近、お母さん方が危ないことを子どもにさせなくなっています(たとえば、要望によって公園の遊具も使えなくすることもある)。まともにころぶことができない子どももいます(ころぶ時に手が前に出ず、顔に怪我をしてしまいます)。リスクに対する精神的、肉体的敏捷さがありません。命は大切にしながらも、人生はある程度リスクをおかして楽しむことができることも学ぶほうがいい。
注1 上記、見解については個人的見解である。
注2 本稿は聞き取りをもとに、参考資料の情報を追加して角田が作成した草案を、武部さんに確認・加筆修正いただいたものである。
【ご紹介いただいた参考資料】
・武部俊一「『安心』と『覚悟』を制御するリスク・コミュニケーションと報道」、『予防時報』239、2009年
・武部俊一「『想定外』を見通す想像力」、『日本科学技術ジャーナリスト会議 会報』No.59(震災特集 臨時増刊号)、日本科学技術ジャーナリスト会議、2011年5月
・武部俊一「天災を人災にする『想定外』」、『無限大 No.129 2011年 夏』日本アイ・ビー・エム株式会社、2011年
日立環境財団プロジェクトチーム
聞き取り調査
実施日時 2011年8月1日(月)14:00~16:00
対象 日本科学技術ジャーナリスト会議(JASTJ)会長 武部俊一さん
聞き取り調査者 角田季美枝、梅村松秀
1. 現在の日本社会におけるリスク・コミュニケーションについて、何が課題だと思われますか。
・そもそも日本の社会に「リスク」という考え方が定着していないことです。いまだに「リスク」というカタカナで書いています。「危険性」と訳してしまうと、リスクの危険の側面だけしか表現できません。リスクは量的で確率的な概念ですから、低いリスクは安全性の尺度とも考えられます。
・リスクで考えるということは科学・技術報道にあたる基本の作法なのですが、ジャーナリストの姿勢としてまだ十分に身についているとはいえません。リスク報道に関する「行動基準」もありません。ジャーナリズムはニュースになるということを一番においています。リスクを敏感にとらえることは大きなニュースになりますが、それがすぎるとセンセーショナリズムにおちいります。
・リスクを受け入れる側には「リスクを教えてくれる/リスクから守ってくれるのは『お上』の仕事」という考え方があり、そのような土壌はジャーナリズムにもあります。そのため、何かあると「お役所の責任」という伝え方になってしまうのです。
・リスク報道にかぎりませんが、報道の原則は①ファクトを幅広く、具体的に伝える、②危険か安全かわからない場合は、危険面を重視する、③少数意見、弱者に焦点をあてる、です。そのためジャーナリズムのスタンスは権威や現体制に厳しいものになります。
・個人的に身の回りや旅行先で「警告・注意書き」の立札を写真で収集しています。日本では圧倒的に「立入禁止」「~してはいけない」が多い。一方、欧米では「あなたの責任で」「あなたのリスクで」という指示が多い。カリブ海のオランダ領アルーバ島の高さ50メートルほどの一枚岩の小山は綱を頼りに登るのですが、入口の看板は「この石段を登るのはあなた自身のリスクで」、ハワイのキラウェア火山の真新しい溶岩のそばには「ここから先は極めて危険。溶岩原は警告なしに崩れる」という立札(一部焼け爛れている)があるものの、「進入禁止」はありません。アリゾナの渓谷には「低リスク」という看板に「水辺の活動はあなたのリスクで。ここには救助員はいません」と添えられています。自己判断で、自己責任で、自然との付き合い方をしているのです。
・大災害になるような「兆し」は研究者の調査研究から示されていますが(今回の大震災でいえば、貞観地震の大津波、個人的に追究しているテーマでは小惑星の地球への衝突)、「いつ起こるかわからない」ものは新聞やテレビでも警鐘を鳴らすようなニュース報道ではなく、「こういう研究成果が出ました」的な話題もの記事になり、社会的な対策につながるような関心をもってもらえません。とくに行政には、「いつ起こるかわからないものに対策費用を多くさけない」と見過ごされる。阪神淡路大震災に関しても、1974年に地元の『神戸新聞』が、神戸直下地震の恐れを指摘する大阪市立大学の研究者の警鐘を1面トップ記事で報じていたのですが、20年間、自治体や建設業者が対応して都市の耐震化を進めることがないうちに、大地震に見舞われてしまった。
・豊かになったため、安全に対する要求度が上がったのかなとも感じます。たとえば1960年代、部分的核実験禁止条約を批准していなかった中国の大気圏内核実験によって、日本中に放射性物質が降下していました。内閣に放射能対策本部が設置され、実験後の放射能レベルを毎日のように発表していました。そのころのニュースでは「死の灰が降ってくる」「雨にあたると禿る」などと騒いではいましたが、その時のほうが一般の反応は冷静だったように感じます。リスクに敏感になるのはいいが、風評にあおられては困る。
・原子力発電所の過酷事故(シビア・アクシデント)対策については、メーカーの技術者たちが研究や情報収集を続けてはいましたが、安全はお金儲けにつながらないのに経費がかさむと社内で却下され、実装されなかったのです。チェルノブイリ事故後にEUが出した安全指針がありますが、それに習って日本で唯一対策がおこなわれたのはベントの設置のみです。マスメディアもその点をきびしく追及してこなかった。
・(武部さんがおられた朝日新聞社の場合:記録者注)原子力の安全性報道について、編集の現場にクライアントのクレームが入ることはありません。
2. 特に3.11以降、活動への影響にはどのようなものがございますか?
・現場の記者が取材で手一杯で動きにくくなったこともあり、JASTJではOBが中心になって原子力発電所の事故や津波など、いろいろな勉強会をするようにしています。
※記録者補足
ホームページによれば、実施された勉強会は以下。
・4月例会 4月27日 「地層が訴えていた巨大地震の切迫性~貞観地震津波の痕跡からわかること~」 講師:宍倉正展氏(産業技術総合研究所/活断層・地震研究センター海溝型地震履歴研究チーム長)
・緊急報告会 5月19日 「放射線健康リスク~福島からの報告」
講師:山下俊一氏(長崎大学大学院医歯薬学総合研究科附属原爆後障害医療研究施設教授)
・6月例会 6月14日 「日本的なシステムの諸問題」を語る
講師 内田樹氏(前 神戸女学院大学教授)
3. 日本社会の状況に対して、貴団体・組織がめざす貢献は何ですか?
・リスクは個人によってちがっています。個人で判断することが必要です。行動の選択肢をふやすためのデータを出すのがジャーナリストの役目です。3.11以降の話題では、低レベル放射線をどう考えるか、があります。どこかで線引きをしないといけません。リスクを受け止める覚悟が必要なのですが、わかったうえでの決定をひとりひとりができるよう報道していかなければなりません。
・放射線被曝で日常レベルで問題なのは医療被曝です。最近、被曝線量が高いCTが開業医にまで普及し、やたらに使うというような風潮にもなっています。この背景には、CTの購入の初期投資が莫大ということがあります。BSE対策で全頭検査の対策がとられましたが、JASTJ会員でもある唐木英明・東京大学名誉教授は論文「全頭検査神話」(『日本獣医師会雑誌』2007年6月号)で「消費者が望むのであればどんなに小さなリスクでも可能な対策はするべき」という行動を批判し、「対策を必要とするリスクは多い。科学的な正当性に基づいて費用対効果の計算を行い、リスクの相対的な大きさに応じたリスク管理を行うことが社会的公平につながる」としています。食品や健康にからむリスクは微妙な問題もありますが、相対的にリスクをみるという視点はリスク報道で配慮しなければならない視点です。
・リスクとの付き合い方に習熟するような社会にしていくことに貢献していきたい。そのために、さまざまなリスクに絡む研究者の研究調査のデータを、リスクに関する考え方をそえて報道していくのがいい。データは見る人が見ればわかるのです。
・記者の行動規範を作ったほうがいいという人もいますが、作ったとしてもジャーナリストは守りそうもありません。報道の自由は、基本的に制約や規制を嫌います。それぞれの記者や組織の自主的な判断と責任に基づいて報道姿勢を律するのがいいのではないでしょうか。そして読者や視聴者が監視し、きびしく選別すべきでしょう。
・日本科学技術ジャーナリスト会議として、会員同士が研究・調査・討論する勉強会、科学技術に関する「何でも検証プロジェクト」(※)をすすめており、原子力もテーマに加え、軽水炉、高温ガス炉、高速増殖炉、核融合について検証を進めて行く予定です。成果は、会議のウェブサイトで公表するほか、書籍として出版できればと思っています。
※記録者補足
日本科学技術ジャーナリスト会議で現在進行中の検証プロジェクトのテーマ
・スーパーコンピューター
・小水力
・耐震住宅
・ワクチン
詳細は日本科学技術会議のウェブサイトを参照のこと。
http://jastj.jp/?p=161
・日本ではいままで死亡事故でもないと問題にならず、解決に向かいませんでした(たとえば回転ドア)。文化として科学技術とつきあう覚悟のある社会にしていくことに貢献していきたい。そのような社会の原則は、正しい情報を十分与えられた上での自己決定です。科学技術の便益の裏に隠されたリスクをあばくのがメディアの役割だからです。
・リスク覚悟の社会構築には以下の条件を満たす必要があります。
--リスク情報が正確に、わかりやすく公開されていること
--情報の受け取り手が正しく理解して合理的な判断をすること
--リスクを最小限にする技術的、社会的仕組みが整えられていること
--個人的便益と社会的コストの間でバランスがとれていること
こうした点をデータに基づいて読者に伝えることがリスク報道に求められます。
たとえば、今回の震災でいえば、適切な避難を促す措置がとられたか、避難した人がもとに戻れない状況をどう報道していくのかがあります。三宅島の火山噴火のときも、本土に避難した住民がなかなか島に戻れなかった。日本では、お役所の判断に逆らって避難地域に残る人は非難されるような風土があります。「自分の判断で帰ってください」といえるような情報を提供していくことが必要ではないかと思います。アメリカのセントへレンズ火山が爆発したとき、山小屋のおじさんは政府勧告があったにもかかわらず自らの信念で残り、死亡しました。しかし国民からその行動を非難するような声は出ず、むしろ賞賛の声があがりました。
・低確率の天体衝突や長期的リスクの温暖化など宇宙・地球規模の人類全体の危機管理は科学的にもまだわかっていないことが多く、どのように備えるかを伝えることがむずかしいものです。ただ問題が起きてから対策をとるのでは手遅れです。わかっていることをふまえてわずかなリスクであっても「予防原則」にもとづいて報道することも必要です。
4. これまでの貴団体・組織の実践から、学んだこと、今後に活かしたいことは何ですか?
・いまから20年ほど前、アメリカで開催された環境報道のシンポジウムに参加したとき、環境保護庁(EPA)から、「環境報道を説明する」という小冊子が配られました。そのなかでジャーナリストの特性を「科学よりも政治にニュース価値を置く」、「安全よりも危険にニュース価値を置く」、「危険か安全かの二つに単純化する」、「記者は真実ではなく、見解を取材する」、「記事を特定の個人の話に仕立てる」と紹介していました。ニュース報道は意見を書かず事実を伝えるものです。しかし、これらの点はリスク取材・報道の欠点をよく突いているものとして、「リスク取材の戒め」としています。
・テクノロジー・アセスメントの制度化に資するような活動を進められたらと思っています。リスク・コミュニケーションはテクノロジー・アセスメントと表裏をなす活動です。科学ジャーナリストはテクノロジー・アセスメントの視点で報道していますが、現実には経済性のほうが大きく取り上げられて技術が社会に出てしまいます。科学ジャーナリストが技術の負の側面を伝えることが必要です。原子力はもとより、たとえばリニアモーターカー、ナノテクノロジー、携帯、コンピュータによる教育など。長い目で見た心身や環境への影響を伝える必要があります。
5. 今回わたしたちが開発しようとしている教材および人材育成プログラムについて、ご提案などございますか。
・初等教育、中等教育にリスクの考え方を入れることを進めていただきたい。それはリスク情報を評価すること、リスクに敏感に問題提起すること、リスクに慣れること、自分の身は自分で守ることを学ぶことです。低リスクに対するつきあい方が大事ということを学校教育で学んでほしい。
・最近、お母さん方が危ないことを子どもにさせなくなっています(たとえば、要望によって公園の遊具も使えなくすることもある)。まともにころぶことができない子どももいます(ころぶ時に手が前に出ず、顔に怪我をしてしまいます)。リスクに対する精神的、肉体的敏捷さがありません。命は大切にしながらも、人生はある程度リスクをおかして楽しむことができることも学ぶほうがいい。
注1 上記、見解については個人的見解である。
注2 本稿は聞き取りをもとに、参考資料の情報を追加して角田が作成した草案を、武部さんに確認・加筆修正いただいたものである。
【ご紹介いただいた参考資料】
・武部俊一「『安心』と『覚悟』を制御するリスク・コミュニケーションと報道」、『予防時報』239、2009年
・武部俊一「『想定外』を見通す想像力」、『日本科学技術ジャーナリスト会議 会報』No.59(震災特集 臨時増刊号)、日本科学技術ジャーナリスト会議、2011年5月
・武部俊一「天災を人災にする『想定外』」、『無限大 No.129 2011年 夏』日本アイ・ビー・エム株式会社、2011年
by focusonrisk | 2011-08-17 09:33 | 聞き取り調査