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石井敦 東北大学東北アジア研究センター 准教授

実施日時  2011年8月9日  12:00-14:00
対象    石井敦 東北大学東北アジア研究センター 准教授
聞き取り調査者 角田尚子、つのだきみえ
点検の視点資料「環境教育としてのプログラム評価の視点」第一次とりまとめ

以下は、速記録からのまとめです。

1.現在の日本社会におけるリスクコミュニケーションについて、何が課題だと思われますか。

日本社会においては、「建前」と「本音」の乖離が激しく、また乖離していることが制度化されていると思います。乖離していることが常態であるのです。
そのために、本当に必要な公共領域の議論が成立していない。

例えば捕鯨問題について見てみましょう。
「南氷洋には76万頭のミンククジラがいる」というような報道をメディアがする。そのことはIWCの科学委員会で根本的な見直しが行われているのに、その報道姿勢を変えない。実際にIWCの科学委員会が報告したことは、「50万頭から110万頭の間のどこかに実数がある」ということで、基本的にはわからないことが多い。しかし、日本のメディアはその中間値をとって、「南氷洋にクジラが76万頭」と報道する。そうするとその数字が一人歩きをして、「76万頭いるんなら、その1%以下の2000頭ほどとったって、大丈夫だろう」というような議論が展開されていく。

海洋野生動物の生息数調査の難しさやデータから読み取れることは何かということについてのリアリティを持った議論ができない。
研究者の役割として、科学コミュニケーションを成立させることに貢献できていない。

ウォルフレンが『人間を幸せにしない日本というシステム』で指摘しているように、リアリティをどう見るかが、管理されている。国の最高権力は国民に選ばれた国会にあると憲法に謳われていますが、実際には官僚が決定の最高権力を握っている。

官僚は、「自分たちは科学や法律に従って、立法しているだけなので、権力を行使しているのではない」と言います。「審議会」によって有識者らや利害関係者からの意見をもらって、決定しているにすぎないのだと。

調査捕鯨もIWCの条約8条に従って、実施している。100%合法に行なっていると強調していますが、パナマの裁判所では違法の判決が出ているとか、1946年に、たかだか10頭程度を捕獲することを想定して作られた条項であるものを、何百頭も捕獲しているとか、さらにワシントン条約に違反している可能性だってある。議論すべき点は多々あるのです。

そのようなリアリティから乖離した論理を普及させるべく、法律の読み替えを可能にするように科学的知見だけを使い、一般的な公衆の支援を作り出すメディアにもその知見だけを報道させる。
いま、日本のメディアが「客観報道主義」と自ら言っていることの現実は官庁と企業のプレスリリース中心主義であるということです。

「科学はひとつの正しい答えを持っている」というのは思い込みではなくて、そのように国民を育てること、「正しい」「客観的な事実」に基づいた政策を官僚が示し、政治家たちが選びとるようにしていく、そしてメディアが支配的な言説をくり返し、国民的合意を作り出していく。そのような体制になっていることが問題なのです。

このような制度化された乖離を見てきてしまうと、すべてが建前に思えてくる、建前を批判するものがすべて正しいと思えてくる。政府の立場に疑いが差し挟まれるようになると、批判する立場がにわかにポピュリズム的支援を受けるようになる。

それと、建前と実態が乖離すると、極端な現場主義が好まれるようになります。国際交渉であるならば、その現場に居合わせた人のコメントなどを尊重する。現場にいては反って見えなくなる背景や文脈などがあるので、第三者の視点は非常に重要なのですが、注目されにくくなる。

そして、政策について論じるのは官僚であることが非常に多い。社会科学者や人文学者が捕鯨についての政策論争に登場することはほとんどなかった。捕鯨であれば水産庁が説明する。
それが支配的な説明となっていく。捕鯨問題では、支配的な説明をくつがえそうとすると、日本政府批判になってしまう。

推進する側に都合のよいリアリティを作り出すように世論を操作してしまうと、それがうまく行っているときは、効果的なのですが、変えられなくなる。自分たちが一度推進した建前が、変化の足かせになる。

日本の意思決定過程は、アメーバ状態なのです。時々に、力を持つ人が替わる。同級生から言われたこととか、パーソナルなことによって動かされることもあるし、実権をもつ人が特定できない。

しかし、そこから出されてきた決定は「客観的な事実」ゃ「科学的根拠」に基づいたものだと、されなければならないのです。
ですから、「科学がはっきり正しい答えを出してくれる」という建前を維持しなければならなくなっているのです。

企業の人も「グローバリゼーションに対応する力」などと言います。それはとりもなおさず自分で考える人材を育てることです。ならば、企業文化において、自分たちの会社員も異議申し立てができる風土にしなければ、ならないはずです。

2. 日本社会の状況に対して、貴団体・組織がめざす貢献は何ですか?

大学教育の授業では、「わたしの論文を批判する」ことを課題に出します。社会科学も、科学であり、いま共有されている結果としての知見も、社会科学的なアプローチによって、実証され、確かめられてきた状況が背景にあるのです。もちろん、実験によって確かめることは社会科学の場合はほとんどできないし、「再帰性」によって調査者が研究対象を変えてしまうということが起こってしまうというところは自然科学と違いますが。しかし、それを補うための方法論はいくらでもあります。高校まで授業では社会問題を扱うことはありますが、教える内容がどのように明らかになったのかは全く教えず、単なる「暗記もの」になってしまう。

社会科学の考え方そのものは自然科学とまったく変わらないところが非常に多いのです。
マグロの資源管理の問題でも、「マグロが激減したから養殖」という純技術的解決とマグロを純生物学的に扱うマスコミ報道ばかりで、その間の、マグロをどのような政策のもとで管理するか、という報道はほとんどありません。

少なくとも、大学以降、高等教育においては、批判的に考えること、議論によって、現象と政策の間を埋めることを、実践的に取り組ませたいと思っています。

3. これまでの貴団体・組織の実践から、学んだこと、今後に活かしたいことは何ですか?

いま、変える手だては近くにあると思っています。原発の問題によって「専門家は信用できない」「対抗する知が必要だ」というようなことが共有されてきた。本当は前から必要だった大きなパラダイム・シフトが、ようやく今起こっているのだと思います。
故高木仁三郎さんのように、対抗知として市民科学を育てることに取り組んだ人もいます。市民一人ひとりができることはそのような対抗知を寄付によってサポートすることでもできるのではないでしょうか。

いま大切なことは、市民による対抗知を雲散霧消させないことです。

4. 今回わたしたちが開発しようとしている教材および人材育成プログラムについて、ご提案などございますか。

考える人を育てるためのものにしてください。

5. 特に、3.11以降、活動への影響には、どのようなものがございますか?

いまの状況そのものが、とてもたくさんの研究課題を示しくれています。できることから、自分の研究として、取り組んでいきたい。
批判をすることは、非常に建設的な意義を持っていて、今後、震災対応の政策について、系統的な批判を行っていく必要があると思います。

一人ひとりがいまの状況に関わっていることを知り、自分らしく関わることが大事なのだと思います。

【参考資料】
解体新書「捕鯨論争」 石井敦 編著、新評論、2011
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by focusonrisk | 2011-08-20 07:40 | 聞き取り調査

横浜国立大学環境情報院特任教授 浦野紘平氏(エコケミストリー研究会代表) インタビュー

(特活)国際理解教育センター
日立環境財団プロジェクトチーム
聞き取り調査

実施日時 2011年8月2日(火)14:15~16:45
対象 横浜国立大学環境情報院特任教授・浦野紘平氏(エコケミストリー研究会代表)
聞き取り調査者 角田季美枝、角田尚子


1. 現在の日本社会におけるリスクコミュニケーションについて、何が課題だと思われますか。

・日本は大きな事故(リスク)に対して非常に弱い社会です。リスクに対する心構えが、企業にも政府にも議員にも国民にもありません。それでパニックになってしまうのです。
・日本社会の体質として、答えをひとつにする傾向があり、答えがいくつもあるという発想をさせないというものがあります。「日本人の個性」といってもいいのかもしれませんが、横並びを好むということがあります。
・多様性を認めない社会はリスクへの対応力が乏しくなります。
たとえば、ファミレスのステーキの脇にあるニンジンの大きさが同じでないというクレームに対応するために、大きなニンジンでも半分ほど捨てられてしまうと聞いています。ステーキというメインのものではなくサイドのニンジンになぜそのようなクレームがつくのか、私には理解できません。このような均一志向が、絶対安全を信じたり、安全か危険かの二分思考につながっています。
・また、文部省の役人には自然科学系がほとんどいなかったので、教育方法に自然科学的な発想が乏しかったことも、リスクに対する科学的思考の欠如に影響していると思います。いまは科学技術庁と一緒になったので、以前よりは少しは良くなってきていますが。

2. 特に3.11以降、活動への影響にはどのようなものがございますか?

・インターネットで放射能汚染に関する情報が非常に多く出されていますが、調べてみると、初期は極端な意見も多かったのですが、大勢はまともな方向に向かっていっていることが分かりました。しかし、マスコミ報道は、偏ったままで、あまり改善されていないことが分かりました。マスコミの記者やディレクターをどうするのか、大変悩ましく思っています。また、マスコミを頼りにせずに、インターネットで多くの情報を得るようにするのがよいのか、いやでもそうなるのかなどに注目しています。

3. 日本社会の状況に対して、貴団体・組織がめざす貢献は何ですか?

・エコケミストリー研究会は、客観的な事実を示すデータと、立場や性別、年齢等々の異なる方々の多様な意見や提案を発信し、会員に考えてもらうことを心がけています。
・人間が他の動物と違う点は、過去と現在と未来をつなげて考えることができること、東日本大震災の被災地や飢餓の進むアフリカのことも考えられること、時間や空間を広く考えることです。このことを、身近な事実を通して伝えていきたいと考えています。
・ひとりひとりが、科学的にではなく、理性的に広い角度から物事を考えられるようにすることが重要です。
・「科学的にではなく」というのは、科学の歴史をふりかえれば、科学があてにならないと言えるからです。いまでは微生物の作用とわかっている病気も、昔は呪いのせいとされていました。科学ではまだわかっていないことも多いと言う謙虚さが必要です。
・いまの常識も時間がたてば常識ではなくなってしまうこともありえます。たとえば、私が若いころは。タバコを吸うのが当たり前で、床屋でサービスとしてタバコを提供していました。
・誰かが決めた「正しい」を教えるのではなく、事実を伝えること、事実の原因は科学的にわかることとわからないことがありますが、そのような中で、理性的に判断していくことの重要性を伝えていくべきでだと考えています。
・「統計や事実」と「自分の生活」をどうつなげていくかが教育なのです。いくら統計や事実を知らせても個人のことまでわからない。自分の生活とつなげで確かめる能力、考える能力をどうつくっていくかがリスク教育の基本だと思っています。

4. これまでの貴団体・組織の実践から、学んだこと、今後に活かしたいことは何ですか?

・エコケミストリー研究会は、設立以来21年、非常に幅広い団体や個人の方に会員になっていただいた本格活動以来15年もたちました。これだけの期間活動が続けられた最大の理由は、まだまだ不十分ですが、立場や年齢等が異なる会員に、できるだけ共通な関心を持っていただくために、異なった立場や見方からの最新情報と今後の方向についての意見や提案を伝えるように努力してきたことをご理解いただけているからだと思っています。
・私個人としては、まだ環境教育やリスクコミュニケーションという言葉もなかったときに『みんなの地球』という漫画入りの本を、小学校高学年と親が一緒に勉強する教材としてつくりました。その後版も重ねて120万部発行されています。この本を実際に使った層は、私が想定した小学校高学年とその親以外に広がっていました。たとえば、高専や短大はもとより、東京大学の工学部、東北大学の大学院の教科書や、会社の新入社員研修のテキストとして使われました。韓国語版や中国語版も出ました。その経験から、いかに多くの人の共通の関心事を伝えることが大切であり、有効であるかを学びました。
・環境教育、リスクコミュニケーションというような専門的な言葉を使わずに、「安心できる生活をどのようにつくるのか」というような言葉で伝えるのがよいと思います。専門用語や専門家の発想でなく、消費者、子どものセンスや発想で伝えることが重要です。
・「安心できる生活をどのようにつくるのか」という問いは、見方によっては、先進国の勝手で贅沢な思想ともいえます。一方で、原子力や遺伝子組み換え作物、多くの合成化学物質のように、先進国発の科学技術が新しいリスクを生み出しています。これらをどこまで許容していくのかを、事実を基に考えるチャンスを与えていける活動が必要だと思っています。

5. 今回わたしたちが開発しようとしている教材および人材育成プログラムについて、ご提案などございますか。

・検定教科書や文部科学省の指導要領で教える内容が決まっています。教科ごと、学年ごとで細切れになっています。しかし、実際の環境問題は、教科書の区分はもとより、科学技術の区分、行政区分や国も超えています。このため、先生が細切れの状況をつなげるように工夫し、教科書の内容で身近な生活とつなげるような教え方ができれば、子どもが授業をおもしろいと評価します。そのような教え方の種を集めたような本を出版すると良いでしょう。そのような教材で、ある程度意識はあるが、動けない先生を応援することもできます。
・環境教育に熱心な小中高の先生が使えるような教材を、身近な話題を総合的に扱うことができる教科、とくに生物、地学、家政学等を専攻していた先生をターゲットに提供するといいでしょう。
・そのような熱心な活動をしている先生の活動を発掘して公表するのもいいでしょう。
このような先生の活動を応援し、熱心な先生の居心地を良くしていく以外に教育は改善できません。
・年代別にいえば、中学生はそれぞれの個性が出てきて微妙な時期なので、小学校高学年で使う教材に絞ったほうがいいでしょう。
・「リスク」という言葉を使う必要はありません。身近な生活を理性的に見る眼をもってもらうような教材を開発してください。
・「今があたりまえではない」ということも伝えていく必要があります。たとえば自動車。交通事故による死者は年間約6,000人で、以前に比べてかなり減りましたが、それでもこれは死者だけです。けがをした人、また死者やけが人の家族を考えれば、その数は非常に多くなります。また、年間約6,000人でも3年では約2万人。今回の大震災での死者・行方不明者に匹敵します。自動車による便利さとリスクをどう考えていくかというときに、自分のこととして、また未来の社会を考えられる人をどう育てていくのか。自らにひきつけた問いかけ方が必要です。「おばあちゃんが子どもだったころ、自動車はありませんでした。自分がおばあちゃんになるときには、どうなると思いますか? それで今はどうしたらよいと思いますか?」というような問いかけです。
・身近な生活の興味を引く事実で伝えていく。たとえば、「あなたは、空気を一日に12~18kgも吸っています。その空気に有害物質が入っていたら? それを一生吸っているととどうなるでしょうか?」
ただ、身近なだけではだめで、知らないであろう身近な事実、興味を引く身近な事実を示すことが必要です。たとえば、一握りの森の土に世界の人口と同じくらいの生物がいることや、自分の身体に数十兆匹もの細菌が棲んでいることなどを知ることで、自分が自然の一部であることを学び、自分を見直すことができる。そのことがまさに環境教育です。そうすれば、あるていどのリスクは受け入れざるをえないが、リスクを減らすことはできるということもわかってもらえるはずです。

6. 教材をつくる際に、ガイドラインの検討も同時に行ないたいと思います。何か、参考にすればと思われるガイドラインはございますか?

・既存の環境教育などのガイドラインは、どれでも似たようなことを整理しています(持続可能な社会、安全・安心、平和など)ので、こういうことを伝えたいという柱をもって編集する際の参考にはなります。しかし、それは教材を編集する人のためのものですので、教材にむりやり盛り込もうとしなくても良いのです。国ごとに環境も生活も違うので、教え方は違って当然ですから。
・ガイドや本の翻訳ではなく、日本人の感覚、生活にあった表現にすることが重要です。そうしないと自分たちのこととして受け止めてもらえませんから。

【ご紹介いただいた参考資料】
・浦野紘平『みんなの地球 第3版(改訂増補版)』オーム社、2001年
・浦野紘平「基準値等とリスクセンスの磨き方」、『化学物質と環境』No.107、エコケミストリー研究会、2011年5月

(注)本稿は聞き取りをもとに角田季美枝が作成した草案を、浦野特任教授に確認・加筆修正いただいたものである。
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by focusonrisk | 2011-08-17 09:40 | 聞き取り調査

日本科学技術ジャーナリスト会議(JASTJ)会長 武部俊一さん インタビュー

(特活)国際理解教育センター
日立環境財団プロジェクトチーム
聞き取り調査

実施日時 2011年8月1日(月)14:00~16:00
対象 日本科学技術ジャーナリスト会議(JASTJ)会長 武部俊一さん
聞き取り調査者 角田季美枝、梅村松秀


1. 現在の日本社会におけるリスク・コミュニケーションについて、何が課題だと思われますか。

・そもそも日本の社会に「リスク」という考え方が定着していないことです。いまだに「リスク」というカタカナで書いています。「危険性」と訳してしまうと、リスクの危険の側面だけしか表現できません。リスクは量的で確率的な概念ですから、低いリスクは安全性の尺度とも考えられます。
・リスクで考えるということは科学・技術報道にあたる基本の作法なのですが、ジャーナリストの姿勢としてまだ十分に身についているとはいえません。リスク報道に関する「行動基準」もありません。ジャーナリズムはニュースになるということを一番においています。リスクを敏感にとらえることは大きなニュースになりますが、それがすぎるとセンセーショナリズムにおちいります。
・リスクを受け入れる側には「リスクを教えてくれる/リスクから守ってくれるのは『お上』の仕事」という考え方があり、そのような土壌はジャーナリズムにもあります。そのため、何かあると「お役所の責任」という伝え方になってしまうのです。
・リスク報道にかぎりませんが、報道の原則は①ファクトを幅広く、具体的に伝える、②危険か安全かわからない場合は、危険面を重視する、③少数意見、弱者に焦点をあてる、です。そのためジャーナリズムのスタンスは権威や現体制に厳しいものになります。
・個人的に身の回りや旅行先で「警告・注意書き」の立札を写真で収集しています。日本では圧倒的に「立入禁止」「~してはいけない」が多い。一方、欧米では「あなたの責任で」「あなたのリスクで」という指示が多い。カリブ海のオランダ領アルーバ島の高さ50メートルほどの一枚岩の小山は綱を頼りに登るのですが、入口の看板は「この石段を登るのはあなた自身のリスクで」、ハワイのキラウェア火山の真新しい溶岩のそばには「ここから先は極めて危険。溶岩原は警告なしに崩れる」という立札(一部焼け爛れている)があるものの、「進入禁止」はありません。アリゾナの渓谷には「低リスク」という看板に「水辺の活動はあなたのリスクで。ここには救助員はいません」と添えられています。自己判断で、自己責任で、自然との付き合い方をしているのです。
・大災害になるような「兆し」は研究者の調査研究から示されていますが(今回の大震災でいえば、貞観地震の大津波、個人的に追究しているテーマでは小惑星の地球への衝突)、「いつ起こるかわからない」ものは新聞やテレビでも警鐘を鳴らすようなニュース報道ではなく、「こういう研究成果が出ました」的な話題もの記事になり、社会的な対策につながるような関心をもってもらえません。とくに行政には、「いつ起こるかわからないものに対策費用を多くさけない」と見過ごされる。阪神淡路大震災に関しても、1974年に地元の『神戸新聞』が、神戸直下地震の恐れを指摘する大阪市立大学の研究者の警鐘を1面トップ記事で報じていたのですが、20年間、自治体や建設業者が対応して都市の耐震化を進めることがないうちに、大地震に見舞われてしまった。
・豊かになったため、安全に対する要求度が上がったのかなとも感じます。たとえば1960年代、部分的核実験禁止条約を批准していなかった中国の大気圏内核実験によって、日本中に放射性物質が降下していました。内閣に放射能対策本部が設置され、実験後の放射能レベルを毎日のように発表していました。そのころのニュースでは「死の灰が降ってくる」「雨にあたると禿る」などと騒いではいましたが、その時のほうが一般の反応は冷静だったように感じます。リスクに敏感になるのはいいが、風評にあおられては困る。
・原子力発電所の過酷事故(シビア・アクシデント)対策については、メーカーの技術者たちが研究や情報収集を続けてはいましたが、安全はお金儲けにつながらないのに経費がかさむと社内で却下され、実装されなかったのです。チェルノブイリ事故後にEUが出した安全指針がありますが、それに習って日本で唯一対策がおこなわれたのはベントの設置のみです。マスメディアもその点をきびしく追及してこなかった。
・(武部さんがおられた朝日新聞社の場合:記録者注)原子力の安全性報道について、編集の現場にクライアントのクレームが入ることはありません。

2. 特に3.11以降、活動への影響にはどのようなものがございますか?

・現場の記者が取材で手一杯で動きにくくなったこともあり、JASTJではOBが中心になって原子力発電所の事故や津波など、いろいろな勉強会をするようにしています。
※記録者補足
ホームページによれば、実施された勉強会は以下。
・4月例会 4月27日 「地層が訴えていた巨大地震の切迫性~貞観地震津波の痕跡からわかること~」  講師:宍倉正展氏(産業技術総合研究所/活断層・地震研究センター海溝型地震履歴研究チーム長)
・緊急報告会 5月19日 「放射線健康リスク~福島からの報告」 
講師:山下俊一氏(長崎大学大学院医歯薬学総合研究科附属原爆後障害医療研究施設教授)
・6月例会 6月14日 「日本的なシステムの諸問題」を語る 
講師 内田樹氏(前 神戸女学院大学教授)

3. 日本社会の状況に対して、貴団体・組織がめざす貢献は何ですか?

・リスクは個人によってちがっています。個人で判断することが必要です。行動の選択肢をふやすためのデータを出すのがジャーナリストの役目です。3.11以降の話題では、低レベル放射線をどう考えるか、があります。どこかで線引きをしないといけません。リスクを受け止める覚悟が必要なのですが、わかったうえでの決定をひとりひとりができるよう報道していかなければなりません。
・放射線被曝で日常レベルで問題なのは医療被曝です。最近、被曝線量が高いCTが開業医にまで普及し、やたらに使うというような風潮にもなっています。この背景には、CTの購入の初期投資が莫大ということがあります。BSE対策で全頭検査の対策がとられましたが、JASTJ会員でもある唐木英明・東京大学名誉教授は論文「全頭検査神話」(『日本獣医師会雑誌』2007年6月号)で「消費者が望むのであればどんなに小さなリスクでも可能な対策はするべき」という行動を批判し、「対策を必要とするリスクは多い。科学的な正当性に基づいて費用対効果の計算を行い、リスクの相対的な大きさに応じたリスク管理を行うことが社会的公平につながる」としています。食品や健康にからむリスクは微妙な問題もありますが、相対的にリスクをみるという視点はリスク報道で配慮しなければならない視点です。
・リスクとの付き合い方に習熟するような社会にしていくことに貢献していきたい。そのために、さまざまなリスクに絡む研究者の研究調査のデータを、リスクに関する考え方をそえて報道していくのがいい。データは見る人が見ればわかるのです。
・記者の行動規範を作ったほうがいいという人もいますが、作ったとしてもジャーナリストは守りそうもありません。報道の自由は、基本的に制約や規制を嫌います。それぞれの記者や組織の自主的な判断と責任に基づいて報道姿勢を律するのがいいのではないでしょうか。そして読者や視聴者が監視し、きびしく選別すべきでしょう。
・日本科学技術ジャーナリスト会議として、会員同士が研究・調査・討論する勉強会、科学技術に関する「何でも検証プロジェクト」(※)をすすめており、原子力もテーマに加え、軽水炉、高温ガス炉、高速増殖炉、核融合について検証を進めて行く予定です。成果は、会議のウェブサイトで公表するほか、書籍として出版できればと思っています。
※記録者補足
日本科学技術ジャーナリスト会議で現在進行中の検証プロジェクトのテーマ
・スーパーコンピューター
・小水力
・耐震住宅
・ワクチン
詳細は日本科学技術会議のウェブサイトを参照のこと。
http://jastj.jp/?p=161
・日本ではいままで死亡事故でもないと問題にならず、解決に向かいませんでした(たとえば回転ドア)。文化として科学技術とつきあう覚悟のある社会にしていくことに貢献していきたい。そのような社会の原則は、正しい情報を十分与えられた上での自己決定です。科学技術の便益の裏に隠されたリスクをあばくのがメディアの役割だからです。
・リスク覚悟の社会構築には以下の条件を満たす必要があります。
--リスク情報が正確に、わかりやすく公開されていること
--情報の受け取り手が正しく理解して合理的な判断をすること
--リスクを最小限にする技術的、社会的仕組みが整えられていること
--個人的便益と社会的コストの間でバランスがとれていること
 こうした点をデータに基づいて読者に伝えることがリスク報道に求められます。
 たとえば、今回の震災でいえば、適切な避難を促す措置がとられたか、避難した人がもとに戻れない状況をどう報道していくのかがあります。三宅島の火山噴火のときも、本土に避難した住民がなかなか島に戻れなかった。日本では、お役所の判断に逆らって避難地域に残る人は非難されるような風土があります。「自分の判断で帰ってください」といえるような情報を提供していくことが必要ではないかと思います。アメリカのセントへレンズ火山が爆発したとき、山小屋のおじさんは政府勧告があったにもかかわらず自らの信念で残り、死亡しました。しかし国民からその行動を非難するような声は出ず、むしろ賞賛の声があがりました。
・低確率の天体衝突や長期的リスクの温暖化など宇宙・地球規模の人類全体の危機管理は科学的にもまだわかっていないことが多く、どのように備えるかを伝えることがむずかしいものです。ただ問題が起きてから対策をとるのでは手遅れです。わかっていることをふまえてわずかなリスクであっても「予防原則」にもとづいて報道することも必要です。

4. これまでの貴団体・組織の実践から、学んだこと、今後に活かしたいことは何ですか?

・いまから20年ほど前、アメリカで開催された環境報道のシンポジウムに参加したとき、環境保護庁(EPA)から、「環境報道を説明する」という小冊子が配られました。そのなかでジャーナリストの特性を「科学よりも政治にニュース価値を置く」、「安全よりも危険にニュース価値を置く」、「危険か安全かの二つに単純化する」、「記者は真実ではなく、見解を取材する」、「記事を特定の個人の話に仕立てる」と紹介していました。ニュース報道は意見を書かず事実を伝えるものです。しかし、これらの点はリスク取材・報道の欠点をよく突いているものとして、「リスク取材の戒め」としています。
・テクノロジー・アセスメントの制度化に資するような活動を進められたらと思っています。リスク・コミュニケーションはテクノロジー・アセスメントと表裏をなす活動です。科学ジャーナリストはテクノロジー・アセスメントの視点で報道していますが、現実には経済性のほうが大きく取り上げられて技術が社会に出てしまいます。科学ジャーナリストが技術の負の側面を伝えることが必要です。原子力はもとより、たとえばリニアモーターカー、ナノテクノロジー、携帯、コンピュータによる教育など。長い目で見た心身や環境への影響を伝える必要があります。

5. 今回わたしたちが開発しようとしている教材および人材育成プログラムについて、ご提案などございますか。

・初等教育、中等教育にリスクの考え方を入れることを進めていただきたい。それはリスク情報を評価すること、リスクに敏感に問題提起すること、リスクに慣れること、自分の身は自分で守ることを学ぶことです。低リスクに対するつきあい方が大事ということを学校教育で学んでほしい。
・最近、お母さん方が危ないことを子どもにさせなくなっています(たとえば、要望によって公園の遊具も使えなくすることもある)。まともにころぶことができない子どももいます(ころぶ時に手が前に出ず、顔に怪我をしてしまいます)。リスクに対する精神的、肉体的敏捷さがありません。命は大切にしながらも、人生はある程度リスクをおかして楽しむことができることも学ぶほうがいい。

注1 上記、見解については個人的見解である。
注2 本稿は聞き取りをもとに、参考資料の情報を追加して角田が作成した草案を、武部さんに確認・加筆修正いただいたものである。

【ご紹介いただいた参考資料】
・武部俊一「『安心』と『覚悟』を制御するリスク・コミュニケーションと報道」、『予防時報』239、2009年
・武部俊一「『想定外』を見通す想像力」、『日本科学技術ジャーナリスト会議 会報』No.59(震災特集 臨時増刊号)、日本科学技術ジャーナリスト会議、2011年5月
・武部俊一「天災を人災にする『想定外』」、『無限大 No.129 2011年 夏』日本アイ・ビー・エム株式会社、2011年
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by focusonrisk | 2011-08-17 09:33 | 聞き取り調査