カテゴリ:聞き取り調査( 14 )

特定非営利活動法人 市民科学研究室 代表理事 上田昌文さん(その3)

(特活)国際理解教育センター
日立環境財団プロジェクトチーム
聞き取り調査

実施日時:2012年2月25日(月)10:00~12:30
対象:特定非営利活動法人 市民科学研究室 代表理事 上田昌文氏
聞き取り調査者:角田季美枝、角田尚子、福田紀子


3. 教育、とくにリスク教育について思うことはございますか?

生活知と教育現場の科学知の乖離という問題というか、最近、こういうことがありました。

講演会で「日光に修学旅行に行くことのリスクをどう考えているのか」という質問が出ました。そこで私は、「多少高い線量かもしれないけれど、2、3日なら長期間いるわけではないので、それほど大きなリスクはないのでは」というニュアンスで答えました。

それを聞いた人がショックを受けたのです。それは学校で自分の子どもを日光に行かせないという運動をしていたお母さんでした。上田さんがこんなことをいっていたと自分の地元で皆に話したら、メールで批判が届きました。

つらつら考えると、日光に行く・行かないの二項対立で考えると話が進まないことがわかってきました。修学旅行で日光に行かないということを決めた学校があるとします。当然、修学旅行は日光以外にも選択はあるわけで、それは問題がありません。ところがその選択は仮に正しいという社会的認知ができて、すべての学校はここ2、3年、修学旅行に日光に行かないことにしましょうとなったらどうなるでしょうか。日光の観光業者はつぶれます。そのリスクは誰が負うのかという話になります。日光に行かないことで外部被曝のリスクはなくなりますが、他のリスクとどうバランスよく考えるかは残るわけです。

一気に飛び越して「危ないところに行くのはよしましょう」という論理だけですべて語られることがあっていいのだろうか、ということです。

もちろん、すごく大きなリスクなら話は別だと思いますが、日光に2、3日いることは、一回レントゲンを浴びたらすぐに超えちゃうような線量です。そのことのバランスをどう考えるのか、それを議論したうえで学校としてはどうすると決めるならいいと思うのです。そうではなくてただたんに「危ない!」という保護者の声に負けてしまった、「じゃあ、今年はやめます」というふうな動き方だけで決まるとすると、実はいろいろ問題をはらむのではないか。

そういうことを含めて講演会などで丁寧に説明できればいいけれど、結論だけぱっと取り上げてとなってしまうと、話がややこしくなってしまうのですね。

リスクコミュニケーションの問題に戻ると、生活者はいろいろなリスクにかかわっていて
いろいろな科学技術に日々ふれているのですが、それを定量化して自分の曝露状況を調べるとか、どういうリスクが発生してくるか、もう一歩踏み込めばいくらでも考える素材はあるのに、なかなかそこまで踏み込めていません。

研究を企画して一緒にやりませんかというと、貴重なデータを取れる人はいっぱいいるのです。さきほど電磁波の24時間計測の話をしましたが、計測は実はすごく大変なのです。
自分の分刻みの行動記録をとるとか、家庭の中の家電製品の詳しい図面を描くとか求められますから。しかし、そういうことを体験することで本人も育っていくのかなと感じています。そういう関係が市民科学にはいっぱいあります。教育と銘打たなくても、教育効果はいろいろなところで発揮できると考えています。

例えば先ほどリストアップした質問の「あなたが一日台所で使う水の消費量どれぐらいですか?」ですが、どうやったら計ることができると思いますか?

シンクに大きなごみ袋をはりましょう。使った水をその袋に入れましょう、水を入れたごみ袋をもって一緒に体重計にのりましょう。そして自分の体重を引けばいいのですね。

そういう簡単なことでいいのですが、生活のなかで意外と貴重なデータを得られることは多いのです。そういうことを学校教育などいろいろひろげていくことができればと思います。

実はこれは昔の『暮しの手帖』が商品テストでやっていたことなのです。ここの商品テストはおもしろかったのですが、IHの2回特集でメーカーにたたかれたせいか(*補足情報8)、あれ以降、商品テストが商品紹介になってしまったようです。

身近なものの技術を自分なりに批評するのが、そういうところから育たないのは非常に残念です。

IHの商品テストの時も単にIHのことだけをいっているわけではありませんでした。商品を並べて比べて分析することを、身近なことでやっている点が重要なのです。いまの教育にはそれが欠落しています。

暮しの手帖社に商品テストの企画を持ち込んでみたこともありますが、中立性ということで持ち込み企画の商品テストはしないという方針だったようです。

国の機関であれ大学であれ企業の機関であれ、分析装置をもっていてきちんとしたデータを出せるところなら、手を組んでデータを出していくという方向で進めていかないと、あまりにも自分に閉じこもっているとやれることが限られてしまいます。オープンなつながり方をどうやってつくっていけるのかという方向で今後考えていかないと、正直対応できません。

電磁界の測定でも高周波をきちんと測ろうと思うと、とても高価な測定器が必要になります。大学でないと持っていない機械です。ところが大学に話をもっていくと、私たちの立場をいかがわしく思われてしまうわけです。「国の基準で認可されているものをあらためて測定することを私たちはしません」と、大学の先生は平気でいうのです。

研究費をもらっている側からすれば、国にたてつくような種類の研究をするような団体と提携するのはどうなのか、みたいに思われたのでしょうか。それはちがうのです。「あなたたちのやっていない研究デザインをもっているから一緒にやりませんか」といっているだけなのです。そこを乗り越える何かをみつけていかないと。どの分野でもこのような課題を抱えていると思います。

データなしにものをいっているということは、リスクコミュニケーション的にも重要な問題です。

計れるものがあり、計れる対象も計るべき対象もあるのに、そこをすっとばして危ない・危なくないに容易にいってしまうのは、両者にとって本当によくないことです。生活者の側から計る側に自分が変わっていくというスタンスに持っていくことが重要です。


補足情報(8)
IHクッキングヒーターの特集は『暮しの手帖』第四世紀2号(2003年1月)。それに対して関西電力ほか電力業界からの反論を受け、3号(3月)でさらに検証した特集を組んでいる。暮しの手帖では商品テストの内容などはインターネットで紹介していないが、以下で概要を知ることができる。
http://www.kanagawalpg.or.jp/txt/setnews2003.html
http://www.ene-web.com/fujikoyu/member/cheers/0304.html


4. 今回わたしたちが開発しようとしている教材および人材育成プログラムについて、ご提案などございますか?

ひとつには生活者の科学のあり方の理論化を痛感しています。

受け止める側からどうとらえて問題が起きたときに対処するかという整理の仕方が不足しています。

たとえば、ヒューマン・バイオロジーのような、自分の体のことを発生の段階から理解する、学ぶことはあたりまえのはずだが、日本の保健体育、理科でどれぐらい扱われているのか。微々たるものです。

電気がどこから送られているか、それは電気代にどれぐらいはねかえっているかについても教えていません。

学校で、およそ科学とはいえないような、結果だけを鵜呑みにするような教え方がされています。生活者と科学のかかわりは多くあるのですが、日本の理科、家庭科の教育ではほとんど抜け落ちたままです。そこを系統的に組み合わせてつなげていかなければなりません。理科室でするのが科学であると、ぜんぜんそうでないのにそう思わされているのです。科学の日常化というか、科学の社会的側面を理解する必要があります。

その次にいいたいのは、既存の研究機関と消費者グループなどの運動グループとが容易にやりとり(計測器の貸し借り、インターンシップなど)ができる制度的なものが足りないということです。個人的なつながりを通じてしか大学との提携ができないのにはいらいらさせられます。

いろいろな大学に「サイエンスショップ」ができ、市民や企業とつながりができるといいのではないかと思います。サイエンスショップというのは、オランダで開発された、大学の外から研究課題が与えられて大学院生が1~2年間研究して社会に公表する仕組みです。

また、日本全体にいえることですが、多くの市民にとって、生活することと政治意識のつながりが見えないままなので、「生活を良くするために政治的な手段を使う」という主体性を身につけることが必要です。

日常の買い物にしろ、政治的な側面があるのですが、そういうところに意識が育っていません。今回の放射能が典型的です。学校は保護者と行政との対立の板ばさみで、自ら話し合いの場を作って動くということができない。保護者も、自治体はどうしてくれるんだ、ちゃんとしてくれというばかり……という構図ができあがってしまう。

最後に、政策形成や科学技術研究開発のシステムに関する知識が科学者にあまりにも少ない。これは本当に困ってしまっています。

総合科学技術会議で何をしているか、ほとんどの研究者が知りません。科学技術基本計画は誰がどう決めてどう自分の生活にかかわってくるのかについても、関心がありません。科学はお金がないといけない事業です。研究プロジェクトを動かす人は、全体の動向を知っていないといけません。大学院生でこれから科学者になろうという人であれば、うちのボスがどうやって研究資金を調達しているのか把握していないとまずいと思います。

ボスは政治的に動いているのですが、政治的に無自覚です。国の動きに加担していることなので、お金をとってきただけではすまないところがある、という点がわかっていません。研究のお金のめぐり方、回り方の問題であり、原子力はその典型です。外側から見たらどう見えるかがわかっていません。そこを自覚してもらわないと困るのです。

お金の流れをどう見える化できるかについて、明らかに大学、国の行政だけではなく、マスコミを含めてうとかったと思っています。原子力をめぐるお金の動きを調べてみましたが、一番公表したい内容もあるけど、公表したらたたかれるだろうなと思っていることもあります。つまり、お金を動かしている側(例えば経産省の担当官)の経験からみたら、こちらが「これはこうじゃないか」という解釈をしたら、「あいつわかっていない」ということがけっこうあるだろうと思います。

公表するには全体構造がわかるように、かつ、内部の関係者がはっと感じるよう、工夫しないといけません。そうしないと相手と話ができなくなってしまいます。

大きなお金の動きについては、国会議員でも必ずしも全体構造がわかっているとは限りません。どう提起していくべきか・・・・・・。

科学技術社会論学会のようなところが本当は踏み込んでほしいのに、メインストリームの話が出てきません。自然科学や工学の研究において、本当に革新的・先端的なことを研究している人は全体の1~2割。のこりは、私の印象では、既存の研究の穴埋め作業的なことを延々とくりかえしています。たとえば電磁場の人体影響について言うと、Aという研究では、こういう動物に電波をあててみたらこういう範囲の影響が出ました。Bではちょっと曝露条件を変えてみたら、データがこうなりました。それが新しい論文になっています。つまり、今の基準を変える必要がありませんという論文をいっぱい出しているわけです。

総務省の電磁場の人体影響に関する研究枠では毎年20億円出ています。調べてみたら、受け取っている研究者も毎年同じ顔ぶれです。明らかに似たような結論を出すような研究に、国民の税金を使っているわけで、研究者の良心があるのかといいたくもなります。ただ、それを覆して批判するのは大変困難です。

*本記録は、角田季美枝が原案を作成し、上田さんに加筆修正いただいたものである。なお、補足情報は国際理解教育センターで追加した内容である。
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by focusonrisk | 2012-04-04 11:35 | 聞き取り調査

特定非営利活動法人 市民科学研究室 代表理事 上田昌文さん(その2)

(特活)国際理解教育センター
日立環境財団プロジェクトチーム
聞き取り調査

実施日時:2012年2月25日(月)10:00~12:30
対象:特定非営利活動法人 市民科学研究室 代表理事 上田昌文氏
聞き取り調査者:角田季美枝、角田尚子、福田紀子


2. 現在の日本社会におけるリスクコミュニケーションについて、何が課題と思われますか?

3.11以降の被災や汚染に特化した活動とからめて、いくつか課題と思われるものを紹介しましょう。

3.11以降の被災や汚染などに特化した活動としては放射線被曝、がれきなどについて問題提起されています。約80人の人が参加している会員メーリングリストで、多少なりともそういう分野の知識をもっている人がいろいろアイデアを出してくれます。そうすると、専門家に聞きましょうという前の段階で、そういうところから貴重な情報が得られたりすることもあります。そういうネットワークを手がかりに専門家とのつながりをつくることができる基盤があるということです。

放射線リスクに関する緊急セミナー、ホームページでの「震災救援」のコーナーでの情報発信、「市民科学講座」で公開の場での議論機会の提供、「市民科学談話会」での、当事者や関係者を招いての少人数でセミクローズドな徹底した議論、他団体との連携による取り組みなどもおこなっています。

●研究グループの研究から

個々の研究グループに特化した活動ではたとえば、2年前にできた住環境研究プロジェクトのメンバーが大槌町の漁業関係者と縁があり、大槌町の住宅再建の方法を研究しました。大槌町に足を運んで住民の意見を聞き取りました。

土地制度の問題が根幹にあって、家が流されても土地の所有権が残っているため、公共的な視点で大規模なまちづくりができないことをつきとめて、具体的な提案をまとめましたが、大槌町の政治状況の関係で提案の実現はできていません(*補足情報4)。かかわってくれた専門家の人も含めて、震災後の住まいのあり方のアイデアをまとめて本にしようということを計画しています。

そのほか、三陸湾と東京湾の漁師の震災後の暮らし、震災後のコミュニティFMの力の下支えの必要性、水インフラの問題、エネルギーの問題など、いろいろ提案したい内容があります。たとえば、日本では、コジェネ技術などエネルギー技術がいろいろな分野で開発されているのですが、市民がそれを一覧する機会が少ない。太陽熱で温水をつくるのと太陽光パネルで温水を作るのとどちらが効率がよいのかなど、市民にとって身近なことなのに定量的に示されていませんし、体験できる場もありませんので、そういうような活動ができればいいなと思っています。

●内部から変えられない原子力の状況

マスコミの論調が、原子力について、御用学者かそうでないか、原発推進か脱原発かなど二項対立的になっています。原子力の内部にいる人は外にいったらたたかれると思っているが、原子力ムラに問題があることもよくわかっているという、濃厚なジレンマを感じていて、人によってはひきこもってしまって出てこないといううわさも聞いています。これはどうにかしないといけないということで、友人のツテを通じて場をつくってもらって、原子力関連の専門家、原子力委員会の委員の方、そして大学院生、学生などに集まってもらって率直にオフレコでしゃべってもらうことをしました。

今後、原子力をやめていくにしても核廃棄物などは残るわけですし、どう体制を変えるのか、内部の人に考えてもらい外部の人とやりとりしてもらう場を作る必要があります。学会で発表しましたが、この問題は非常にむずかしい。利権がちがちの構造を脱却しないといけないが、研究者は自分の研究を残していきたい、今後の研究資金はどうなるのか、という心配をしている。しかし研究を全体にどう変えていったらいいのか話し合いの場がなく、経済産業省の審議会などで決めてもらえば従うというように、内部からこう変えていきたいということがない。非常に問題なのです。

●お母さんの発案で始まった「放射能に関する親子ワークショップ」

私は放射能の専門家ではありませんが、5年前から低線量被曝の研究会を組織して勉強ををしていたため、ICRPの勧告、ECRRの報告書など読んでいてバックグラウンドができていたので、今回の事故がおこってリスクをどうしたらいいのかという講演を各地でする機会も増えました。

その中で、世田谷のお母さんからリクエストがあって、放射能について子ども自身がいい形で知っていく形を考えられないかということで、親子ワークショップを世田谷でおこないました。

親子10組、2時間ぐらいで5回ほど実施しています。最大20組ならできるかもしれません。

ワークショップでは、ふだん感じている、考えていることをいろいろ出してもらってそこから組み立てます。子どもから引き出す面が大きいので決まりきったことを教えるタイプではありません。最後は子どもたち自身が自分で測定して自分で考えてもらったり、さらに親だけ残ってもらって質疑応答しながら考えることをしています。

具体的な内容ですが、食べ物のことをどう伝えたらいいかと考えて、買い物で考えてもらっています。

「いまからいろいろな食材を見せますので、お母さんと買い物リストをつくってみてください」

そして、実際に作ったリストに、実測したデータをあてはめて、1回の食事、買い物で何ベクレルぐらいになるかお互いの買い物リストで比較してみましょうと進めます。グループによって差が出ます。なぜそうなるのかの話し合いを進めます。

この内容はけっこう実用的で、やってみて非常に好評のようです。

お母さんのアイデアが結構大きくて、地域で子どもたちを守ろうという経験が生かされていておもしろいと思います。

放射能がらみではあと2つ行った活動があります。

●実現後に問題がおこった「福島の子どものフィルムバッチ調査」

ひとつは福島の子どもたちにフィルムバッチを持ってもらうことです。伊達市で実現し、その後福島市にも広がりました。子どもたちは線量の高いところで生活をしています。将来的なことを考えると、どれぐらい浴びるのか把握しておかないといけません。医療関係の人がもつクイックセルバッチをある期間つけておいてフィルムを送って累積線量を計算してもらうのであればいいのではないかと考えました。

そこで、バッチをたくさん借りるとどれぐらい費用がかかるか企業に問い合わせたところ、事態も事態だから安くできますといってくれました。これなら市議会にもっていってもいけるのではないかと、福島に講演に行ったときに呼んでくれた人がいろいろなつながりをもっていたので、その方の友人であるPTAの会長さんを通して知り合いの市議さんに提案してもらったところ、伊達市で通ったのです。伊達で通ったので福島市でも、というわけで、はるかに大きい規模のお金で子どもたちに線量計をもたせることができたのです。

しかし、実現したけれどいろいろ問題が生じています。地域によっては、ある線量以上の高い結果を示さないとデータは教えませんなどとなっています。あとあとのケアの参考にするために子どもたちにずっとつけてもらわないといけませんので、協力が必要ですし、それが大前提というか、きちんとした諒解がないとだめなのに。

子どもたちを安心させるために使っているのに、高い線量以外なら問題ないですよ、となっていて、批判がつづいています。親たちからは「子どもたちをモルモットにするのか、データだけとるのか」という批判が当然出てきています。

それは福島県民健康管理調査のリーダーが山下俊一さんであるということにも関係しています。ああいう人をトップに据えての調査でほんとうにちゃんとやってもらえるのかと批判があって、県民健康管理調査の問診票の回収は2割程度と聞いています。これではデータとして使えないのではと不安になります。そういう中で、クイックセルバッチの調査が組み込まれているわけです。

問題は、個人にデータを戻すなどのルールを市議会が文書化して残してしなかったことにあります。倫理委員会をつくるなどの経験がないから、そのあたりが曖昧になってしまったように見受けられます。

福島の子どもたちの健康をどういう視点から調べてどういうケアが必要なのかを含めて全体で納得してもらえるか、本当に問われていると思います。福島に関してリスクをどうとらえるか、リスクで統一的見解を出しにくいにしても、社会的なケアを含めてどういう対処をしていったらいいのかを考える必要があります。政府なり責任ある機関がどう動いたら、人びとが本当の意味で的確に反応して安心感をもって対処してくれるのか、ということの見通しが甘すぎます。

この県民健康管理調査に20年間782億円の資金を投じることになっていて、かつてABCC(原爆傷害調査委員会)が中心になって行われた広島・長崎の日米合同原爆調査の延長線上に位置づけることができるものです。健康管理調査のデータの出し方などを見た上で質問状や意見書を出しています(*補足情報5)。一歩一歩するしかありません。

●食品の放射能汚染測定データのメタ解析を通じた提案

自治体、市民団体などいろいろなところが、食品の放射能汚染の測定活動を実施されていますが、測定の精度や結果をどう判断するかについてもいろいろです。

またデータを見ていくと、農作物の中に放射能が容易に入るものではないこともわかります。測定の合理化も考えていけるわけです。どういう土壌なら移行しやすいか、植物のどの部分にたまりやすいかなど、データがつみあがりつつあります。そういう状況をみたうえで、細かい産地別、植物の品目別などみて何に出て何に出ないという科学的根拠をみていくことができるようになります。

市民研では「大地を守る会」と提携して、また、これは農業関係者にとってはきわめて深刻な問題なので、いろいろな自治体が農業試験所などでデータをとってインターネットで公表していますので、それも含めて解析していきたい。そして、2012年はこのしらみつぶしの計測をやめて、重点的な計測をしようという提案をしたいと思っています。

また、これは消費者にどう伝えるかも伴います。「これは測定をやめます」といったら、「困るよ。出てきたらどうする?」と返ってくるのは当然予測されるわけです。しかし、科学的根拠やデータを示したら、納得してもらえると思います。これは本当にリスクコミュニケーションになるのではないでしょうか。

幸い、科学技術社会論学会による2011年度「柿内賢信記念賞研究助成金」の実践部門での助成を受けることができたので、「食品放射能汚染の計測の合理化・適正化に関する社会実験的研究」をする予定です(研究期間1年、助成額50万円)。ここ2~3か月で提案できるようにしたいと思っています(*捕捉情報6)。

科学者はデータをいじることは上手ですが、メタにデータを解析できる視点がありません。また、どう公表したらどういう意味を社会にもたらすのかという考察をすることもしていません。そこにふみこんできっちりすることが市民科学です。

今回のようなことが起こると、大地を守る会のような自主グループの会員さんたちは政府の基準を信用しませんので、大地を守る会独自基準が必要になります。つまり、独自のサイエンスの活用がいることになります。

しかし、大地を守る会はそこまで踏み込むことができません。測ることは測る、すごくお金をかけてたくさんデータをとっているのですが、どういうふうに見ていったらいいのか自分たちにはよくわからないわけです。

大学にいる研究者が大地を守る会のデータをみていくことができればいいのですが、そういう関係がそもそもありませんし、大地を守る会にしても、どこに依頼したらいいのかわからないという状況です。

そこで市民研の食のグループの5人で取り組んでいます。メンバーには専門性はありませんが、食のリスクについて議論してきたので、まずは既存の公表されたデータからどういう品目にどういうパターンで出るかを分析してもらっているところです。

数が多いから人海戦術的にグラフをつくっていくしかありません。どういうファクターが放射能に影響があるかをみていこうとしています。

試行錯誤でやりながら、この品目に関してはこういう育て方をしていくとこういう出方で出るぞ~ということは見えてきたように感じます。もちろん、わからない部分もけっこう残ると思います。

放射能の代謝はいろいろわかっていますが、いろいろなファクターがあって一般化できないことが問題です。チェルノブイリのデータで判断できないこともいっぱいあります。

そして、消費者にどう伝えるかは検討中の課題です。科学的に整理されたデータをそのまま見せてもしようがありません。どういうふうに納得してもらえるか。とくに農家の人は自分がつくっているから、「もう出ないですよ」と結果だけいわれても納得しないでしょう。

結果だけで判断をするのではなく、データをみて判断能力、データを見る力をつける事が大事かなと。

農家の方は出る・出ないにものすごく関心をもっているので、自分ですごく勉強をしています。ですので、化学を学んでいないのに、質問がマニアックで、そうかそんなことまで考えられるのかと感心させられます。そういう人はコミュニケーションの地盤ができていてこちらのいうことがぱっと通じるのではないかと思うのです。とくに生産者と消費者の関係が近いような場合、コミュニケーションをしやすいのではないかと思うので、そこをモデルにしてやってみようと思っています。

専門性を持ってやっている部署は、市民と対話する回路をもっていません。自分たちの研究がどう応用されるかというルートは決まっているので、そのルートにのって情報のやりとりをしているところがほとんどです。いったんリスクなり事故なり社会的に大きな事象が起こった場合、どう対処するのかというと、いわば外部にお任せ状態だったわけです。担当セクションがあるでしょうということで。しかし、今回の放射能に関しては担当セクションも知らない、わからないような問題です。

それぞれ関係している部署がどうつながって動かないといけないかという設計が実はできていなかったということが、露骨に見えてきたわけです。

多少なりとも生産者と消費者の顔が近いところで、自分の関心に応じて自主測定して情報発信するところがたくさん出てきた。そこに私たちがのりこんでいって、どういうやり方をしているか、どういう仕事をしたときにうまくいったのかを調べて、それをさきほどの大きな社会全体で回路がずたずたになっているところに持ちかけていきましょうと。そういう方法というか視点が大事と思っています。

それは地域のなかで、リスクの問題に限らず、生産と消費、開発と応用というように、距離が比較的近いような動き方をしているところは、リスクの問題を生じたときの動き方のモデルとして考えることができるのではないか、そこで起こったことの事象をうまくひろげていく方法を考えていけばいいと思っています。

問題なのは、消費者が個人防衛的にリスクに対処していることです。それは、国の言っていることを信じられない、また自分には科学的なデータを読む力もない。それであればまず身をまもれ、子どもを守れとリスクゼロに限りなく近いところに走りこんで行くわけです。問題なのは、そういう行動が社会にとってどういう影響が出るのか視野にないことです。

そういうふうになる前に、本当は話し合いがいるわけです。そういうことをしようと思ってもできない人もいるし、避難だって個人でできない人もいるわけです。個人に勝手にやってくれ、では話が終わらないのです。

●2012年6月に市民科学国際会議を開催

今年の6月23-24日、放射線防護に関する市民科学者国際会議を開催しようと計画しています(*補足情報7)。

低線量のことをどう考えるか、日本のデータを海外の研究者が見たらどう見るか、福島でどういうケアが必要か、海外の研究者を含めて公平中立にオープンに討論できる場をつくろうということを提案したいと思っています。

補足情報(4)
住環境研究会の大槌町復興に関する活動については、以下を参照してください。
http://archives.shiminkagaku.org/archives/2011/07/post-272.html
http://archives.shiminkagaku.org/archives/2011/07/post-267.html

補足情報(5)
市民科学研究室は、福島県県民健康調査については、福島県知事宛に「県民健康管理調査に関する要望書」を2011年7月12日付で提出しました。
詳細は以下を参照してください。
http://archives.shiminkagaku.org/archives/2011/09/post-274.html
http://blogs.shiminkagaku.org/shiminkagaku/2011/09/post-57.html
http://blogs.shiminkagaku.org/shiminkagaku/2011/09/post-65.html

補足情報(6)
詳細は以下を参照してください。
http://archives.shiminkagaku.org/archives/2011/12/post-283.html

補足情報(7)
放射線防護に関する市民科学者国際会議の呼びかけ文(日本語・英語)は、以下を参照してください。
http://blogs.shiminkagaku.org/shiminkagaku/2012/03/20126.html

(その3につづく)
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by focusonrisk | 2012-04-04 11:31 | 聞き取り調査

特定非営利活動法人 市民科学研究室 代表理事 上田昌文さん(その1)

(特活)国際理解教育センター
日立環境財団プロジェクトチーム
聞き取り調査

実施日時:2012年2月25日(月)10:00~12:30
対象:特定非営利活動法人 市民科学研究室 代表理事 上田昌文氏
聞き取り調査者:角田季美枝、角田尚子、福田紀子

1. 日本社会の状況に対して、貴団体・組織がめざす貢献は何ですか? また、これまでの貴団体・組織の実践から、学んだこと、今後に活かしたいことは何ですか?

●市民科学研究室の活動について

市民科学研究室(以下、市民研と略)は、もともと「科学と社会」について考える個人的な勉強会(「科学と社会を考える土曜講座」)として、1992年から始めて組織化していき、2005年に特定非営利活動法人となりました。20年間活動していても現在、会員は262人という小さな団体です。ただ長年支えてくださる方がいるので、私がひとり専属でかかわり、有給の事務局スタッフが1人いて週2~3日来ています。理事は基本的にボランティアで10人います。

科学技術は一般の市民の視点や生活で問題化されていません。科学技術の先端にも切り込める市民を育てたいという思いで活動を展開しています。活動は調査研究、子ども料理科学教室、学習会の講師などさまざまです。

現在の調査研究グループは7つ。ナノテクと社会、環境電磁界、生命操作・未来身体、低線量被曝、住環境、食の総合科学、科学コミュニケーションツールでおこなっています。きょうの午後おこなう生活習慣病予防ゲーム「ネゴシエート・キラー」は科学コミュニケーションツールの研究グループで研究開発したものです。

研究グループの研究は、専門家を集めて進めるのではなく、一般市民に対してこのような研究を行いたいとメンバーを公募します。メンバーが話し合ったうえでテーマを決めて、それぞれ月1~2回のペースで会合をもち、1年、2年かけて自分たちで調査して見つけた成果を公表する、提言としてまとめるという方法でおこなっています。大学のように恒常的に研究費がとれるわけでも、実験装置があってオリジナルのデータをとることができることもありませんが、状況に応じて自分たちで工夫して進めるというような方法であっても、科学技術の先端にあるものでも切り込むことができます。

というのは、社会との接点で技術が引き起こす問題に対しては、研究が手薄だったり、大学の研究でも抜けていたり、市民の視点に立って問題化されていないからです。(*補足情報1)

●「リビングサイエンス」という考え方

市民科学という私たちの立場がどういうものか説明しましょう。

台所という場所を考えると、台所は、ごみの問題、水の問題、GM(遺伝子組み換え農作物)の問題など全部がつながって見える場所ではあります。ところが、社会的には食うものをつくるところという位置づけになっています。実際は台所と社会のつながりをたどっていくと、科学面を含めていろいろな要素が入ってくるにもかかわらず、社会的機能としては単純化された場所になっているのです。

つながりをちゃんと見せていくと、たとえば、水のことが気になるなら、台所から変えていくことができるということがわかります。社会といろいろな技術のつながりを、「そこ」を起点にして見ることによって、社会をより良く変えていくルートを見出していくことができるのです。

そういう発想でとらえようというのが市民科学研究室でつかっている概念のひとつで、リビングサイエンスといっています。身近な生活を基点にして、物事を見ていくということですね。(*補足情報2)

●消費者の代表と研究者が前もって議論する

ナノテクノロジーの研究のなかでナノフードを取り上げました。開発している企業はいろいろ知っているが、消費者は知らないのです。下手に伝えると「ナノフードはすべて危ない」となってしまいます。そこで、テクノロジーアセスメントで専門家、企業の開発部門と議論をする機会をつくり、2年間、議論しました。

そういうことからわかってきたのは、消費者といっても一般市民に向けてある情報をボーンと発信したらいいという問題ではなく、研究開発途上のものについては、消費者の代表に集まってもらってじっくり勉強してもらって、それで専門家とやりとりすることをしないとまずいということです。

そこでNACS(日本消費生活アドバイザー・コンサルタント協会)の人たちに動いてもらって7~8人の研究会をつくり、企業の開発部門がプレゼンし、NACSの人が見てわからないことを質問することを繰り返すというやり方で議論し、ナノテク食品を開発するのであれば、社会的に気をつけないといけないという点を提言しました(*補足情報3)。

これを消費者教育というべきかどうかわかりませんが、消費者にとってまだ十分よく知らないこと、けれどもリスクがあるかもしれないことについて、前もってどうやって受け止めて、いい形で社会で議論するようにもっていくか、検討がが必要だということです。

消費者が「賢い消費者」になることは、科学技術のことにも絶対かかわってくることなのです。

これに似た経験ですが、市民研というより個人の仕事でアサヒビールと年に1回「消費者ダイアローグ・ワークショップ」の企画検討・ファシリテータをしています。

消費者からのクレームには、会社全体の研究開発、販売、宣伝と大きくかかわってくるものが相当あります。そういうものを社員の人たちにどう受け止めてもらったらいいか、アサヒとして消費者に向けた企業活動をするにはどうするかを検討したいと相談されて、お客様相談室のスタッフと消費者教育などの専門家の先生を呼んで、毎年1回ワーククショップをしています。

企業の中にも消費者の声を受け止めてうまく生かしていくしくみをつくることが必要ということがわかります。

●定量的に日常を把握する

市民科学的視点で強調したいのは、ものを定量的にとらえることがどれぐらい日常でできるだろうかということです。

たとえば、以下のような質問に、どれぐらいの市民が答えられるでしょうか。

・携帯電話の電磁波の強さはどれぐらい?
・どの暖房器具をどう使うのがあなたの部屋では一番効率がいい?
・オール電化住宅は“お得”なの?
・自宅の家電機器などの待機電力はどれぐらい?
・月何リットルの水をどう使っているの?
・あなたの消費物資の海外依存度は?
・あなたは検査でどれぐらいのX線を浴びてきたか?
・あなたの体内のPCB濃度は? 放射線の内部被曝量は? 母乳中には? 胎児にどれぐらい移行するの?

携帯電話の電磁波についてですが、おそらく測っている人は非常に少ない。他の機器の電波の強さと比較する人も少ないでしょう。

しかし、実際に私がよくたとえていっていますが、「携帯電話の電磁波は、電子レンジに耳を当てた多時に浴びるものよりも強いことがある」のです。電子レンジは高周波をつかっていてマイクロ波です。電子レンジをオンしているときに箱から漏れてきています。実際に使っているときに体を近づける人はいないでしょうが、携帯電話の電磁波は電子レンジを真横にもってきたときより強いことがあります。

いい・悪いはべつにして、いろいろな事象のなかで「どれぐらい」という量的なもので見ていくと、実は知らないことだらけ。そういうことを入り口にいろいろ探っていく。

携帯電話は出力自体はそれほど大きくはないのですが、電波以外にも電気をつかっていることで生じる低周波磁場も結構大きいのです。

無線LAN、携帯、WiMaxなど、電波はまわりの環境で知らず知らずに増えてきています。ほとんどの家電製品にはインバータが入っているので、少し高い周波数のものが出ています。すべての周波数をトータルに曝露状況を調べたら、ここ10年間ですごく増えているのです・・・・・・と、いま、おおまかにいっていますが、実はそういうことを調べた調査はありません。だから驚くのです。

それぞれの電波の専門家、電気から出てくる磁場の研究家はいるのですが、何を研究しているかというと、めちゃめちゃ高い磁場の中で細胞がどうなるかという研究であって、家庭環境中でどうなっているのかは調べないのです。だから、ものすごいギャップがあります。

これだけリスクのことがいわれています。「リスクはないですよ」と、安心させたいなら測らないといけません。しかし、それがなくてものをいっている人がいっぱいいるのが現状なのです。

そういう意味では、市民研は電磁界については1999年から取り組んでいるので、いろいろな測定をしています。24時間計測できる機械を20人に携えてもらって測ったこともあります。国立環境研究所が大規模な疫学調査をしたとき、1台40万円のメーターが100台あります。そのようなものは市民が買えるわけがありませんので、貸してくれないかと頼んでみました。まだ当時ご存命だった兜先生がいいでしょうと個人的に貸してくれたので、オール電化住宅に住んでいる人とそうでない人の曝露状況を比較できたのです。

オール電化に住んでいる人が高いだけではなくなぜ高いのかもいろいろわかりました。オール電化に住んでいる人で高い人はIHだけが問題でなく、床暖房が問題であることや、意外なものが高かったこともわかりました。たとえば、台所ではかった時、電子レンジを使っていないのに高かった。台所の向こうにエコキュートがあったのです。

ただ、国が採用している基準からいえば、そんなに曝露していないということになります。

電磁波の曝露では何が起こるかわからない部分がいっぱいあります。高圧線の下に住んでいる子どもの白血病や携帯電話の脳腫瘍など、気になるデータもあります。けれど基準値を変えるには及ばないと、国際機関がつっぱねているのが現状です。


補足情報 (1)
「市民科学」を市民研は以下のように定義している。
http://www.csij.org/what-cs.html
「市民科学」とは「市民の、市民による、市民のための科学」。複雑で高度な専門知に立ち入らねばならない場合であっても、市民がそれを回避せず、しかも専門の細分化に足をすくわれることなく、生活の総合性をみすえて問題解決にあたることが鍵になります。

また、設立趣意書では「市民科学」を提案する問題意識や定義が以下のように記述されている。(編注:読みやすいように改行を加えている)
http://www.csij.org/img/shuisyo.pdf

*市民科学とは、
(1)市民が不安や危惧を抱く問題をみすえて、その問題解決のために調査研究をすすめる、
(2)科学技術のあり方に関して市民の問題意識や関心を高める、
(3)市民と専門家の間の対話を促進し、専門性の障壁をうまく乗り越えていく、
(4)科学技術政策に市民の意思が適切に反映されるようにする、といった総合的な取り組みである。
すなわち市民科学は、科学技術の活動が展開される様々な局面で、市民が主体的・実践的に関与していく機会を作り出していくことであり、総体として科学技術の発展を適正に制御し、持続可能で公正な社会の実現を目指すものである。

科学技術がもっぱら専門家によって研究開発され一般市民はその成果を享受するだけという、これまでのあり方をどこかで変えなければならないだろう。そのときに肝要なのは、一般市民が「科学技術のことは専門家にお任せする」というこれまでの姿勢を改め、専門家や政策立案にたずさわる人々に自分の意思をきちんと示し、ともに問題解決をはかるよう働きかけることであろう。素人にとって歯が立たないように思える専門知識に対しても、様々な助力のもとに市民が上手に向き合っていく方法があるものと思われる。

補足情報 (2)
リビングサイエンスについて、市民科学研究室のウエブサイトでは以下のように定義している。
http://www.csij.org/what-cs.html
「リビングサイエンス」とは「生活を基点にした科学」。さまざまな形で生活に入り込んでいる技術や科学知を、市民が主体となってよりよい暮らしに向けて選択し、編集し、活用し、研究開発を適正に方向付けていくという多面的な活動です。

補足情報(3) ナノテク食品のテクノロジーアセスメントの研究報告書は以下からダウンロード可能になっている。
『TA Report フードナノテク 食品分野へのナノテクノロジーの応用の現状と諸課題』
http://i2ta.org/files/TA_Report01.pdf


(その2につづく)
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by focusonrisk | 2012-04-04 11:27 | 聞き取り調査

秋田県立大学 金澤伸浩准教授

日時:2012年1月9日(月・祝)13:00~14:30
対象:秋田県立大学 金澤伸浩准教授
聞き取り調査者:角田季美枝、角田尚子、梅村松秀、吉村和哲

1. 金澤さんの自己紹介とリスクに対する関心をお聞かせください。

13年前、化学会社から秋田県立大学に転職しました。専門は水環境ですが、講義の中で「リスク」を扱うので、リスクマネジメントなどを独学した者で、リスク学の専門家という意識はありません。

現実をみていますと、化学物質やBSEなど、ささいなことが社会問題化し、風評被害や無駄な社会コストが生じるケースが繰り返されています。それはなぜなのかを考えてみますと、「科学リテラシー」の不足のほか、「リスク」で考えないことによって、怖がる必要のないことに怖がったり、自分でリスクを判断しないで、他人に判断を委ねてしまう状況があるからではないかと思います。

なぜそうなってしまうのかを掘り下げてみますと、確率としての「リスク」という考え方自体を日本人が理解していないのではないか。さらに考えていくと、日本の教育で、「リスク」について教えられていないからではないかと考えました。幼稚園以降の教育内容を定めている文部科学省の学習指導要領を調べてみると「リスク」の概念は出てきません。ただ、学習指導要領の今回の改訂で、高校の工業に「環境工学基礎」が新設され、ここで初めて「リスク」という用語が登場しています。この現状では「リスク」がわからないのは当然ではないかと思います。

一方、政府は食品や原発の関係などではリスクコミュニケーションをしています。リスクコミュニケーションのガイドも出されていますが、うまくいっていない。原因については色々指摘されていますが、リススを理解する基礎知識が教育されていないことが原因にあるのではないか、つまりリスクの基礎を教える教育の普及がブレークスルーになるのではないかと考えています。

しかし先のように正規教育の中に含まれていないのですから、そうであれば、「外」からの教育プログラムとして普及していくのが良いのではないか。ただ、リスクに関する本はすでに山ほどあって、それを紹介したところで効果がないのは明らかです。そこで、環境教育で行われる体験学習法でリスクを教えられないか。そう考え、あれこれ教材を探して出合ったのがPLTのFocus on Riskでした。なぜ日本語がないのかとERICに尋ね、必要性を訴えて翻訳プロジェクトを立ち上げていただき、現在に至っています。内容は十分とは思いませんが、まずはここから始めたいと思っています。

今回の東日本大震災では、本当に切羽詰まった状況では個々人がリスクを判断して行動された様子が多く伝わってきました。つまりリスクが全く使われないわけではなさそうです。一方で、一律な対処によって、個人の選択肢を狭めてしまう政策、個人の判断を許容しない政策がありはしなかったでしょうか。たとえば、放射線を恐れて体の不自由なお年寄りを避難所に連れて行くことは、個人のリスク(エンドポイントは死亡)を増大させる場合があると思います。避難すること自体のリスクが高いのにそれを強要する。それは社会の損失につながることです。

政府や行政がするのは必要最低限で、基本は個人がリスクを判断して、自由裁量で行動できるようになる方が経済的にも効率的でないかと思います。個人が行うリスク判断に合理性があるのなら、それをできるだけ尊重して追加で個々に対応する、その方が満足度が高く、経済的にも効率的になることはないでしょうか。

これを実現するには、個人が科学観をもち、リスクを判断し、意思決定できるようになる必要があります。現在は国民が政府などにリスクの判断を委ねてしまう、権威に依存する傾向もあります。それらを改善していくために、リスク教育が必要なのです。


2. リスク教材開発のガイドラインVer.1.1についてのご意見をお聞かせください。
(ガイドライン)
(ア)科学観を伝える教材であること。
 (1)科学の答えは一つではない。
 (2)近代科学技術社会におけるリスクとは何か。
 (3)科学的証明、根拠以外の価値観があることを伝える。
 (4)生徒一人ひとりに科学観を育てる。
(イ)シチズンシップを育てる教材であること。
 (1)政治的リテラシーを育てる。
 (2)公共心、参加、貢献を育てる。
 (3)コミュニケーション能力、対立の扱い方を学ぶ。
 (4)社会的合意形成の方法論を学ぶ。
 (5)アドボカシー、社会的提言の態度・姿勢・行動を育てる。
(ウ)思考スキルを育てる教材であること。
 (1)メディアリテラシーを育てる
 (2)12のものの見方・考え方のような分析の力を育てる。
 (3)PLTの高次の思考スキルをカバーする。
 (4)経験学習的アプローチで、体験から学ぶ力を育てる。
 (5)全体言語主義によって、心・からだ・頭を統合した学びであること。
(エ)社会とリスクの関係について学ぶ教材であること。
 (1)過去の共有~リスクを巡る対立の歴史~分権、フィールド調査、もの、人
   1)「水俣病」、「BSE」など、なぜ経験から学べないのか
 (2)現状分析
   1)核燃料サイクルのジレンマ
   2)適応的対策力をつけるには
 (3)未来のビジョン
 (4)行動計画

ガイドラインを拝見して「リスクに関する話がぽこっと抜けている」というのが第一印象でした。これはリスクコミュニケーションというより、科学コミュニケーションのガイドラインではないかと感じました。「リスク」という言葉が出てくるのは(エ)のみです。

私はリスク評価なしにリスクコミュニケーションはありえないと考えています。
リスクの概念を理解するには
・リスク
・ハザード
・エンドポイント
の3つを学ぶことが必要で、そのうえで
リスクアセスメントを行い、意思決定をするという流れです。その過程でリスクコミュニケーションがあります。それらがガイドラインには必要と思います。

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また、メディアリテラシーも重要です。リスクアセスメントで数字は出ますが、同じ数字でも人によってどう判断するかは違いますし、故意に異なった認知をさせることもできますので、マスメディアのリテラシーやリスク認知のバイアスについての教育は必要と思います。

Focus on Riskには、リスク、ハザードなどの用語や、リスクアセスメントについては紹介されていますが、リスク認知のバイアスの内容はありませんので、補足する必要があると思っています。

リスクの理解には段階があると思います。第一段階は「ハザードが理解できる」、第二段階は「リスクを正しく理解できる」、第三段階が「リスクに基づいて行動できる」です。リスク教育において、第一段階はいいのですが、足りないのは第二段階と第三段階です。Focus on Riskは第三段階を狙い、そのために第二段階を扱っていますが、まずはそれで良いと思います。

リスクという言葉はいろいろ使われていますが、それぞれ意味が異なっていて、理解を難しくしていると思います。

経済学、金融の領域ではリスクは結果の不確実性の意味で使われています。リスクの大きさは、被害を被るあるいは利益を得る不確実性の大きさを示します。大きく得をするかもしれないけれど大きく損をするかもしれないもの、つまり確率的な変動の幅が大きいものをリスクが大きいという。

化学物質のリスクというときは、不確実性はありますが、発がん性など結果(エンドポイント)の程度を固定して、その発生確率をリスクと呼びます。
工学のリスクは被害の程度×発生確率で表されます。(*1)

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(出典)金澤伸浩「第15章リスクの基礎知識」、秋田県立大学経営システム工学科編『経営システム工学とその周辺』横浜図書、2011年、p.191を改変。

一般にいまリスクマネジメントといわれているものは、実際はハザードマネジメントをしているものが多いと思います。生産現場では被害の程度と頻度を横軸と縦軸にとって、3×3の9段階のリスク・マトリックス表を作り、リスク評価を行うことはありますが、せいぜいその程度です。多くは直感でリスクを判断してハザードの善し悪しを決めてしまう。リスクを算出したり比較したりするリスクアセスメントを行わないにも関わらず、リスクマネジメントと称するケースは多くあります。

リスクコミュニケーションの教材のガイドラインに戻りますと、よく見れば(ア)(3)はリスク認知についての内容です。(ア)(4)は意思決定に関係しています。リスク教育の教材として必要な部分は入っていますが、分散してしまっていて、やはりリスク教育というより科学リテラシー教育ガイドラインのように見えます。リスクの観点から並び替えや簡素化ができるのではないかと感じます。


3. 大学教育の目標は何かについてのご意見についてお聞かせください。(教養、専門家養成において何に重きを置いていくべきか)

大学教育の目標は1つではありません。大学の置かれている立場、個人によって異なります。

私が在籍している秋田県立大学のような地方大学に求められることの一つは、地域への貢献です。首都圏の大学とは違い、地方大学にはフィールドがありますので、海外、国際も大事ですが、その前に地元地域を見ることは当然で地域貢献は核だと思っています。

「立派な研究者を育てる」ことを目標に教育しても、実際に就職して研究者になる学生はそう多くありません。研究だけできる人を育ててどうする?ということです。もちろん、研究力をつければ、様々なところで応用はききます。しかし、研究しかできない人を社会は求めていません。

分野かまわず、自分なりに探求できる、自分なりの答えを引き出せる人を育てることは大学の役割と思います。

研究と社会への貢献とバランスを考えながら地域にかかわっていくような人材育成、教員が大学の外に関わる、大学の外への発信が大事だと思います。

教育に関して、制度を改善することも大事ですが、個々の学生の意識、価値観が変わることも必要です。「いい世の中とは?」、「何のための勉強?」、「自分が幸せに思えることは何?」などの問いに自分自身の解が持てるようになって欲しいです。

質の高い教育のためには、教育だけやっていたのでは行き詰ります。バックグラウンドとして教育者が自分の研究をもっていないとだめだと思います。研究や実践によって、科学観に魂が乗るというか、研究と行動の双方が教育のバックグラウンドに必要だと思います。つまり、何に重きを置くかと言うより、これらのバランスが大事だと思います。


4. 北海道大学など国際的な大学の連合体で、大学がESDを取り組むために作成している自己評価のガイドライン(the AUA Model)に関するご意見についてお聞かせください。
(英語版)
http://www.sustain.hokudai.ac.jp/aua/
(日本語版)
http://www.sustain.hokudai.ac.jp/aua/jp/

評価するのは大変むずかしいと思います。
点数化するのであれば、自己採点して、その結果を公開して、点数の経年変化やどのような自己採点しているのかを見て、大学が改善されているかどうかを社会が見ていけるような仕組みにしていくのがいいのではないでしょうか。

(注)
*1 詳しくは金澤伸浩「第15章リスクの基礎知識」、秋田県立大学経営システム工学科編『経営システム工学とその周辺』、横浜図書、2011年、pp.187-196、を参照。
*2 本稿は聞き取りをもとに角田季美枝が作成した草案を、金澤准教授に確認・加筆修正いただいたものである。
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by focusonrisk | 2012-02-04 00:59 | 聞き取り調査

慶応義塾大学 吉川肇子教授(チームクロスロード)

(特活)国際理解教育センター
日立環境財団プロジェクトチーム
聞き取り調査

実施日時:2011年10月24日(月)10:30~12:00
対象:慶應義塾大学 吉川肇子教授(チームクロスロード)
聞き取り調査者:角田季美枝、角田尚子、淺川和也

1 現在の日本社会におけるリスクコミュニケーションについて、何が課題と思われますか? 特に、3.11以降、活動への影響はどのようなものがございますか?

リスクコミュニケーションで「誰かに教わって学べば判断できる」というモデルは古いということです。実際に行われていることは知識の伝授、誤りの訂正です。「私の言うことをききなさい」、「私と同じになりなさい」、というのは考え直した方が良いと思います。

リスクコミュニケーションは、1980年代、ある種の社会運動として実践されてきましたが、ある言葉を必要としている社会的背景を知った方が良いと思います。リスクリテラシーを上げるだけはなく、参加、民主主義ということがリスクコミュニケーションという概念の誕生の背景にあります。(*1)


2. 日本社会の状況に対して、貴団体・組織がめざす貢献は何ですか? また、これまでの貴団体・組織の実践から、学んだこと、今後に活かしたいことは何ですか?

わたしは社会心理学の専攻で、シムソック(SIMSOC)を実施しました。これはアメリカの社会学者ギャムソンが開発したシミュレーションゲームです。1つの地域について4チームにわかれて、社会秩序の形成、対立、葛藤などを体験させて、2日がかりで行う大がかりな模擬社会ゲームです。10~20年経った今でも体験した学生から年賀状に「シムソックの合宿のことをいまでもしばしば思い出します」という便りが届きます。「ゲームの中で学んだことをいつまでもふりかえって考えている」ということだと思っています。

自由度があるロールプレイは、向いている人と向いていない人があると思います。防災ゲームのクロスロード(*2)を開発するときは、最初から「型にはめよう」と、状況カードに対してyes/noを表明するというデザインにしました。状況カードではジレンマを扱います。

クロスロードのyes/noは、現在、多数派予測、自分の意見とどちらもできるようにしてあります。最初は多数派予測だけだったのですが、実施していた最初の頃参加者から、「なぜ人の意見を想像しなくてはならないのか?」という問いが出されたので、わかりやすいよう、二通りのルールを用意しました。

クロスロードを実施している時、自分で考えもしないような意見を聞くことができる。それを体験するのが重要なのです。ゲームをやって効果があったと短期的な評価ではなく、ゲームをした帰り道、いろいろ考えたとなることをゲームの開発者としてはねらっています。できるだけ反芻させたいわけです。

また、一度だけではなく何度でもやってもらうようにすることが大事だと考えます。二度目はこうすれば一度目よりうまく行くと考えるはずですが、その学びが大事だと思っています。ですので、2回目をやりたくないような面白くないゲームは、教育に向かないと思います。

ゲームではふり返りやファシリテーションが大事です。クロスロードでは、ファシリテーターの技量をそれほど要求しない、わかりやすいルールにしました。 クロスロードを発想したきっかけの1つは、「道徳性の発達段階テスト」です。たとえば、「ハインツのジレンマ」という話があります。「がんで死に瀕している妻の病気を治すにはある薬を使った時だけです。その薬は非常に高価な薬であるため、夫はその値段の全てを用意できず相談したが断られてしまいました。そこで夫は薬屋に泥棒をして薬を手にいれました。夫はどうすべきだったか? 夫の行動は正しかったか?」という話です。クロスロードですと、「避難所に3000人いるのに2000食分しかない。どうする?」というような状況です。意見表明の理由を分析すれば、防災対応能力のテストにもつながるのでは、と当初考えました。ただ、その後やってみて、ゲームの中で話されていることこそが重要だと考えましたので、データを取るとか、テストを作るとか、このような初期の考え方は改めました。

環境問題のクロスロードはつくりづらいです。道徳の教材のようになってしまっておもしろくないのです。問題の作り方にもよるのですが、人間的な悩みが表現されていないからですたとえば、「レジ袋をスーパーでもらうかもらわないか」は見かけ上はyes/noだが、実際はどちらが正しいと思うか、その価値観というか、社会的な正解(現在は、多くの人がこちらの方が良いと思っている)聞いています。クロスロードにするなら「エコバックをもってスーパーに入ると万引きするように見えるかもしれないと考えてくよくよする」というような状況を問うた方が良いです。人間的な悩みを共有するのがクロスロードの本質だと思っています。

大ナマジンはすごろくゲームです(*3)。やっていただければわかりますが、2回に1回は地震につかまるよう設計しています。そのことで家庭の防災対応を考えてもらうということになっています。

ゲームではあまりにリアルなシミュレーションにしません。教科書で教えればすむことを、回りくどく教える意味はないと思います。

3. 今回わたしたちが開発しようとしている教材および人材育成プログラムについて、ご提案などございますか?

多様な価値観があるということ、価値観の折り合いをつけることを考えてもらえるような対話型の実践の推進、のようなものは、個人的には好みですが、もちろん設計者によって考え方が違うと思います。

テレビで最近放映されているライブ授業は、対話型のように見えますが、見かけ上そうなっているだけで、生徒(学生)同士が本当に対話しているのか疑問に感じると頃があります。対話しているのは先生と生徒で、それでは、従来の講義型とあまり変わらないのではないかと思います。本当に大事なのは、生徒同士で学びあったり、また生徒本人が自ら学ぶことだと思います。

【補足情報】
*1 詳細は、吉川肇子『リスク・コミュニケーション 相互理解とよりよい意思決定をめざして』(福村出版、1999年)を参照されたい。
*2 クロスロードについての概要は以下を参照。
http://www.bousai.go.jp/km/gst/kth19005.html
http://www.s-coop.net/rune/bousai/crossroad.html
また、クロスロードの開発の経緯や公表後の発展については以下を参照されたい。
矢守克也・吉川肇子・網代剛『防災ゲームで学ぶリスク・コミュニケーション クロスロードへの招待』ナカニシヤ出版、2005年
吉川肇子・矢守克也・杉浦淳吉『クロスロード・ネクスト 続:ゲームで学ぶリスク・コミュニケーション』ナカニシヤ出版、2009年
*3 大ナマジンについては以下を参照されたい。
http://www.s-coop.net/rune/bousai/sugoroku.html

(注)本稿は聞き取りをもとに角田季美枝が作成した草案を、吉川教授に確認・加筆修正いただいたものである。


【追加情報】

高岡 滋 @st7q
岩波書店「科学」1月号特集「リスクの語られ方」で、慶大・吉川肇子氏が紹介している「リスク・コミュニケーションの4つの義務」(Stallen & Coppock)に注目。①実務的義務、②道徳的義務、③心理的義務、④制度的義務。情報の送り手にこの義務を果たす意思があるかどうかが問題。
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by focusonrisk | 2012-02-01 23:23 | 聞き取り調査

大阪大学コミュニケーションデザイン・センター 小林傳司教授

(特活)国際理解教育センター
日立環境財団プロジェクトチーム
聞き取り調査

実施日時 2011年8月8日(月)15:00~17:00
対象 大阪大学コミュニケーションデザイン・センター 小林傳司教授
聞き取り調査者 角田季美枝


1. 現在の日本社会におけるリスクコミュニケーションについて、何が課題だと思われますか。

・3.11以降、リスクコミュニケーションの研究や活動についてすでに多額のお金が流れています。これから「リスコミバブル」になることは明らかです。「絶対安心」のパブリック・アクセプタンスがだめになったから、今度はリスコミであると。リスコミの諸外国のツールには何があるという研究をするのでしょう。しかし、それは何のためのリスクコミュニケーションなのか、そもそもリスクとは何?という議論が抜けてしまい、ツールの開発に専心してしまう危険があります。それが一番の問題です。

・研究者が自分のリアルな感覚をもとに問題を考えない、現場のない研究者による研究がおこなわれていることも問題です。

・日本においては「実験する」というカルチャーが弱すぎます。「本物は西洋にある」と視察に行くだけで終わりか、「成功しないのは日本社会に問題がある」という知的植民地(とくに文系の学問)の状況もあります。

2. 特に3.11以降、活動への影響にはどのようなものがございますか?

・今まで以上に目に見えないものを見えない状況で考えていかなければなりません。専門家はこのような状況でどのように考えていくのかという講義や活動をしています。直近では8月5日、コミュニケーションデザイン・センターでは大阪大学創立80周年記念関連事業「知のジムナスティックス~学問の臨床、人間力の鍛錬とは何か~」を学生との共同企画により開催、多彩なゲストで実施しました。ゲストの中には学生が企画して登壇が実現した方もいます(※記録者注1)。開催直後なので、まだその評価はわかりません。

※記録者注1
http://www.cscd.osaka-u.ac.jp/(「お知らせ」の「2011年8月5日」)

3. 日本社会の状況に対して、貴団体・組織がめざす貢献は何ですか?

・大阪大学のコミュニケーションデザイン・センターは2005年4月に設立されました。このセンターの設立の背景には、阪大のミッション(社会が信頼できる専門家の育成)、副学長(当時)の鷲田清一さんの問題意識、とくに1990年代の日本社会におけるコミュニケーション機能不全症候群に対する問題意識、阪大での阪神・淡路大震災をふまえての「臨床哲学」の実践、さらに大学という文字情報に偏りすぎている場で文字以外の人間の表現を学ぶ場の必要性があります。私は2005年4月から着任しましたが、イギリスに留学していた1993年以降、私がやってきたこと(※記録者注2)と鷲田さんの実践がシンクロしていたのですね。このセンターは、日本の大学で初めて設立された、さまざまな領域の専門家と非専門家とのコミュニケーション推進、それを媒介するファシリテーター育成の恒常的機関で、大学院の教育・研究機関として位置づけられています(※記録者注3)。

※記録者注2
 科学技術に関する参加型テクノロジー・アセスメントのツールのひとつであるコンセンサス会議を日本で実践。詳細は小林傳司「これはそもそも学問なのか?という疑問は、外からも来るし、内側からも常に発生する」(鷲田清一監修『ドキュメント臨床哲学』大阪大学出版会、pp.132-143)、小林傳司『トランス・サイエンスの時代』(NTT出版、2007年)を参照。

※記録者注3
大阪大学コミュニケーションデザイン・センターの3つのミッション
(1)人材育成:全学の大学院生を主たる対象に、コミュニケーション教育を通した高度教養教育を行います。そのために独自の教育プログラムを作り、問題解決に向けて議論する双方向型のコミュニケーションを担いうる人材を養成します。
(2)社学連携:社会生活に深くかかわる問題の解決には、専門的知識をもつ者も含む多様なひとびとが、当事者として話し合い、協働することが大切だと考えます。そのために学内外の組織と連携し、コミュニケーションの回路を提案・実践します。
(3)研究活動:コミュニケーションデザインをめぐって理系・文系の研究者やデザイナー・プロジェクトの創発の拠点として機能しています。その成果は論文だけでなく多岐に渡る媒体を通して表現します。
(出典)http://www.cscd.osaka-u.ac.jp/ver2/about/mission.php

4. これまでの貴団体・組織の実践から、学んだこと、今後に活かしたいことは何ですか?

・2009年9月26日、WWViewsという試みを実施しました。これはWorld Wide Viewsといいまして、デンマークの技術評価局(DBT)が気候変動枠組み条約の第15回締約国会議(2009年12月にデンマークのコペンハーゲンで開催)の前に、世界中の市民の意見を各国政府に届けようという目的で実施されたものです。日本では私に呼びかけがあり、私が実行委員長として大阪大学、上智大学が主催、北海道大学科学技術コミュニケーター養成ユニットが共催し、京都市で実施されました。全世界共通の手法(同日開催、同じ事前資料提供、同じ論点提示、同じ会議の手法)で実施されたのが特徴ですが、日本では参加する市民(105名)をマーケティング会社に選ぶ属性を提示し選んでもらいました(18歳以上、男女半々、人口統計をある程度反映した構成、地球温暖化問題のステークホルダーではないこと;記録者注4)。地球温暖化に関する専門家、NGO、NPO関係者を選ぶことはしなかったことに対して、NGO、NPO関係者からはなぜ自分たちを選ばないのかという声が届きました。「市民」とは何か、市民参加する「市民」は誰か、市民の声をどのように政治や政策につなげるかという課題がここにあります。市民の声を政治や政策に届ける専門家の養成が必要ではないかと思います。

・シティズンシップ、市民性の教育を提案していきたい。市民とは、具体的に自分の生活にひきつけて自分で考えて行動する人をいいます。そのような市民を育成することのできる専門家を育てる必要があります。

・このセンターの履修科目はすべて必修科目ではありません。学科横断的に履修できるようにしていますが、現在、学んでいる院生は約50人で、決して多いとはいえません。教員によっては、このセンターの科目を履修すより専門の研究や実験をちゃんとしろという人もいます。科学技術社会論(STS)では大学での就職先もないというのも現実です。

・阪大に限りませんが、全体的に大学生の質も低下しています。NPO、NGOがなぜNONという言葉で始まるのか理解しようとしない、また、ニュースを主体的に探したり見ることもない大学生が多いのです。新聞などでニュースを見ているのは40代以上ですね。若い人々が世界について知るための情報ルートと年長世代のそれとのギャップは大きい。今後、今の若い世代がどのような社会を創っていくのかを年長の世代が理解できるのかを考えると絶望的です。

・知的植民地である状況をどう変えていくことができるのか、自分で考えてこうしようという活動をしてそれを海外にもっていくような研究者、日本発の原案を提案できる研究者の養成を行いたい。しばらくはある種のエリート主義で行くしかないかなと感じているところです。

※記録者注4
WWViewsの詳細や結果は以下を参照のこと。
http://wwv-japan.net/

5. 今回わたしたちが開発しようとしている教材および人材育成プログラムについて、ご提案などございますか。

・3.11のあと、いろいろ読みましたが、ジョン・ダワーのインタビュー記事が印象に残っています。その中で、「個人の人生でもそうですが、国や社会の歴史においても、突然の事故や災害で、何が重要なことなのか気づく瞬間があります。すべてを新しい方法で、創造的な方法で考え直すことができるスペースが生まれるのです。関東大震災、敗戦といった歴史的瞬間は、こうしたスペースを広げました。そしていま、それが再び起きています。しかし、もたもたしているうちに、スペースはやがて閉じてしまうのです。」(「朝日新聞」2011年4月29日)と指摘していました。そのとおりで、3.11のあとあいたスペースも今、閉じられようとしています。しかし今回の大震災はとうてい閉じきれるものではありません。来年以降、いろいろ開発されたツールや経験が問われることになるでしょう。

・「正しい答えがない」ものについて、学校では教えてきませんでした。また学校には科目の壁があります。理科と社会の先生がお互いにしゃべる空間をつくれていませんので、理科と社会の先生がしゃべることのできる空間をつくっていくことが必要です。

・大学付属の中学校、高校もしくは中高一貫校の熱心な先生がいるところと連携できるといいと思います。

・小学校や中学校の教育を変えるには、学習指導要領を変える必要があります。学習指導要領を変えてその内容を実行するには、学校の先生を変える必要があり、そのためには大学の教員養成課程で教える教師を変える必要がありますが、それはかなりむずかしい。私自身、かつて大学の教員養成課程で教えた経験があり、日本の大学の教員養成課程がどういう空間なのかよく知っているのですが、教員養成課程で教える教師は、教科教育、教育学、理科/社会教育の3種類です。理科/社会教育で教えている教師は、本来であれば自分の研究をしたかったのであり、教員養成課程の教師として来たいと思っていないのです。またこの三者の間に交流はありません。

6. 教科書をつくる際に、ガイドラインの検討も同時に行ないたいと思います。何か、参考にすればと思われるガイドラインはございますか?

・そのようなガイドラインはありません。逆に、あったら知りたいので教えてほしい。

【ご紹介いただいた参考資料】
・鷲田清一監修、本間直樹・中岡成文編『ドキュメント臨床哲学』大阪大学出版会、2010年9月
・小林傳司『トランス・サイエンスの時代』NTT出版、2007年6月
・小林傳司「『参加』する市民は誰か」、『アステイオン』72(特集 なぜいま「市民力」か)2010年5月
・小林傳司「科学技術をめぐる『参加』の政治学」、筒井清忠編著『政治的リーダーと文化』千倉書房、2011年6月
・福島杏子、田中睦浩、若山恵美企画・編集『科学技術と社会の相互作用 平成22年度(2010年度)活動報告書』科学技術新興機構社会技術研究開発センター、2011年3月
・『日本からのメッセージ:地球温暖化を考える World Wide Views in Japan 〔記録集〕』①~⑤、World Wide Views in Japan 実行委員会、2010年9月
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by focusonrisk | 2011-09-15 22:53 | 聞き取り調査

北九州市環境ミュージアム館長 諸藤見代子さん

(特活)国際理解教育センター
日立環境財団プロジェクトチーム
聞き取り調査

実施日時 2011年8月11日
対象 北九州市環境ミュージアム館長 諸藤見代子さん
聞き取り調査者 角田季美枝、角田尚子、足立恵理

1. 現在の日本社会におけるリスクコミュニケーションについて、何が課題だと思われますか。

・伝える意識のある人の育成が必要です。伝える側のスキルアップ(情報収集力、伝達のスキル)です。
・また、情報を受け取る側も、冷静に判断できるスキルを身につけることが大事だと思います。恐怖にあおられ不安が大きくなると、どの情報を信じていいのか分からなくなってしまいます。様々な角度からの情報を収集、選択し、自分なりに分析する力を身に付けることも課題なのでは。
・情報の受け手が自ら判断できる多角的複眼志向の「モノサシ」をつくれるような環境教育の推進が求められています。

2. 特に3.11以降、活動への影響にはどのようなものがございますか?

・ミュージアムの展示には特に3.11を意識した展示を増やしていないのですが、講話などで東日本大震災の話をすると、聴いている方の目つきが変わることに気づきます。今までの自分の生活を見直そうと考えていらっしゃる方は確実に増えています。今後はエネルギー問題や暮らし方について、自分たちの生活の中やまちづくりの中でどのような取組みが出来るか考えていきたいと思っています。

3. 日本社会の状況に対して、貴団体・組織がめざす貢献は何ですか?

・環境ミュージアムにかかわって約10年の実感ですが、人は学べば変わります。
・北九州の公害の経験や市民の取り組みを次世代の子やアジアの人々に伝えていくことです。自分たちの住むところは、自分たちで環境を守るという姿勢を発信していきます。
・自分の街に誇りを持っていない世代は、自分の子ども達に北九州市の経験を伝えることが難しいようです。地域を愛する子どもをつくるために、これまでの取り組みをいかして学校の先生や地域・行政と連携して環境教育を進めていきたいと思っています。
・周りの人とコミュニケーションをとりながら、自分たちのくらし方、生き方について語りあえるような場を作っていきたいです。

4. これまでの貴団体・組織の実践から、学んだこと、今後に活かしたいことは何ですか?

・家族の健康を守りたいからこその環境の力・市民力が生まれました。製鉄所等からの煤煙公害について、感情に訴えるのではなく科学的論証がないと工場の人にわかってもらえないと戸畑の婦人会のメンバーは自らデーターをとり(シーツや菓子折りの空箱を使って煤塵による汚染を測定し記録をつけグラフ化)、工場や市役所の担当部署と交渉して、工場の集塵装置の設置をさせ大気環境の質の改善を進めてきました。市民の科学力というべき行動によって、企業や行政に「証拠」を見せていったことが改善につながっています。市民、企業、行政の争いではなく、話し合いにより街づくりを進めていきました。これらの取り組みがあって、現在、北九州市の環境首都、低炭素のスマートグリッドシティの実践になっています。環境のまちは一日にしてならず。長い時間と経験を通して人と人との関係つくり、仕組みつくりを行っていく大切さは今の時代にも生かされるのでは。相手の非をせめお金で解決するのではなく、技術の力で解決することを望んだ北九州市民の歴史は誇れると思います。
・戸畑の婦人会の活動の記録やあまり見ることが出来なかった公害記録映画「青空がほしい」を環境ミュージアムで展示しています。環境ミュージアムでは北九州の公害の経験や市民の取り組みをさまざまな展示(過去の汚染の実物展示、戸畑の婦人会の取り組みの活動紹介、ジオラマプラスナレーションのラジオラマ、九州の素材をつかった最新の環境技術を取り入れたエコハウス、公害の経験者も一緒につくったオリジナル学習プログラム、イベント、出前環境講座などや隣接する北九州イノベーションギャラリーとの見学連携)で伝えています。また、過去の公害を経験された方(企業、市民)が環境学習サポーターとして、見学に来られた方に、紙芝居、実験、クイズ、ゲーム、工作など、さまざまな方法で自分の経験や環境を守るメッセージを直接伝えています。
・地域で市民科学力を蓄積していくこと、公害を知らない世代に過去の経験をつなげていくこと、また、アジア各国にこの経験をつないでいくこと等を通じて、自らが環境汚染問題を解決するプロセスに参加することの重要性を伝えていきます。

5. 今回わたしたちが開発しようとしている教材および人材育成プログラムについて、ご提案などございますか。

・「見えない」放射性物質のリスクに関する教材やファシリテーションのスキルをアップするような教材をぜひ開発してください。

(注)上記は、角田季美枝が草案をまとめ、諸藤さんに確認、加筆修正いただいたものである。

【ご紹介いただいた参考資料】

・北九州市環境ミュージアム「北九州市環境ミュージアム」リーフレット
・北九州市環境ミュージアム「北九州市環境ミュージアム概略」
・「北九州エコハウス」リーフレット
・北九州市環境局「青い空を見上げて-北九州市環境学習サポーター体験紙芝居・物語」(小学校高学年用環境教育副読本、別冊公害克服編)北九州市、2006年3月
・北九州市教育委員会監修「3年生・4年生みどりのノート みんなで考えよう! みんなの地球」北九州市環境局、2010年3月
・中原婦人会『50周年 中原婦人会』2001年1月
・青空がほしい①②⑦「舞台再び」「朝日新聞」1993年11月23日ほか
・「女性市民運動による公害克服の歴史」(毛利昭子氏のお話のまとめ、文責:森本美鈴)
・山田真知子「洞海湾の環境改善 サクセスストーリーを担ったのは」(特集 瀬戸内海研究フォーラムin福岡)
・「北九州市エコツアーガイドブック 公害克服編~環境再生の道 そして世界の財産へ~」北九州市環境局環境首都政策課、2009年10月(3版)

【北九州市環境ミュージアム施設概要】
・開設:2002年4月オープン
・面積:敷地面積約4,100m2、延べ床面積約2,060m2
・総事業費:約20億円(用地費約5億円、建設費約10億円、展示施設約5億円)
・年間委託料:7366万6000円(平成23年度)※1
・主管課:北九州市環境局環境学習課
・指定管理者:タカミヤ・マリバー 里山を考える会 共同事業体
・利用者数:平成22年度111,919人(累計1,027,987人)※2
・インタープリタースタッフ:10人※3
・事務スタッフ:4人※3
・環境学習サポーター:68人(2011年9月13日現在)※1
※1 2011年9月13日、北九州市環境局環境学習課に電話で聞き取り。
※2 北九州市環境ミュージアムに対する「指定管理者の管理運営に対する評価シート(評価期間:平成22年4月1日~23年3月31日)」より
※3 北九州市環境ミュージアムウエブサイトより(2011年8月22日確認)
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by focusonrisk | 2011-09-13 17:03 | 聞き取り調査

石井敦 東北大学東北アジア研究センター 准教授

実施日時  2011年8月9日  12:00-14:00
対象    石井敦 東北大学東北アジア研究センター 准教授
聞き取り調査者 角田尚子、つのだきみえ
点検の視点資料「環境教育としてのプログラム評価の視点」第一次とりまとめ

以下は、速記録からのまとめです。

1.現在の日本社会におけるリスクコミュニケーションについて、何が課題だと思われますか。

日本社会においては、「建前」と「本音」の乖離が激しく、また乖離していることが制度化されていると思います。乖離していることが常態であるのです。
そのために、本当に必要な公共領域の議論が成立していない。

例えば捕鯨問題について見てみましょう。
「南氷洋には76万頭のミンククジラがいる」というような報道をメディアがする。そのことはIWCの科学委員会で根本的な見直しが行われているのに、その報道姿勢を変えない。実際にIWCの科学委員会が報告したことは、「50万頭から110万頭の間のどこかに実数がある」ということで、基本的にはわからないことが多い。しかし、日本のメディアはその中間値をとって、「南氷洋にクジラが76万頭」と報道する。そうするとその数字が一人歩きをして、「76万頭いるんなら、その1%以下の2000頭ほどとったって、大丈夫だろう」というような議論が展開されていく。

海洋野生動物の生息数調査の難しさやデータから読み取れることは何かということについてのリアリティを持った議論ができない。
研究者の役割として、科学コミュニケーションを成立させることに貢献できていない。

ウォルフレンが『人間を幸せにしない日本というシステム』で指摘しているように、リアリティをどう見るかが、管理されている。国の最高権力は国民に選ばれた国会にあると憲法に謳われていますが、実際には官僚が決定の最高権力を握っている。

官僚は、「自分たちは科学や法律に従って、立法しているだけなので、権力を行使しているのではない」と言います。「審議会」によって有識者らや利害関係者からの意見をもらって、決定しているにすぎないのだと。

調査捕鯨もIWCの条約8条に従って、実施している。100%合法に行なっていると強調していますが、パナマの裁判所では違法の判決が出ているとか、1946年に、たかだか10頭程度を捕獲することを想定して作られた条項であるものを、何百頭も捕獲しているとか、さらにワシントン条約に違反している可能性だってある。議論すべき点は多々あるのです。

そのようなリアリティから乖離した論理を普及させるべく、法律の読み替えを可能にするように科学的知見だけを使い、一般的な公衆の支援を作り出すメディアにもその知見だけを報道させる。
いま、日本のメディアが「客観報道主義」と自ら言っていることの現実は官庁と企業のプレスリリース中心主義であるということです。

「科学はひとつの正しい答えを持っている」というのは思い込みではなくて、そのように国民を育てること、「正しい」「客観的な事実」に基づいた政策を官僚が示し、政治家たちが選びとるようにしていく、そしてメディアが支配的な言説をくり返し、国民的合意を作り出していく。そのような体制になっていることが問題なのです。

このような制度化された乖離を見てきてしまうと、すべてが建前に思えてくる、建前を批判するものがすべて正しいと思えてくる。政府の立場に疑いが差し挟まれるようになると、批判する立場がにわかにポピュリズム的支援を受けるようになる。

それと、建前と実態が乖離すると、極端な現場主義が好まれるようになります。国際交渉であるならば、その現場に居合わせた人のコメントなどを尊重する。現場にいては反って見えなくなる背景や文脈などがあるので、第三者の視点は非常に重要なのですが、注目されにくくなる。

そして、政策について論じるのは官僚であることが非常に多い。社会科学者や人文学者が捕鯨についての政策論争に登場することはほとんどなかった。捕鯨であれば水産庁が説明する。
それが支配的な説明となっていく。捕鯨問題では、支配的な説明をくつがえそうとすると、日本政府批判になってしまう。

推進する側に都合のよいリアリティを作り出すように世論を操作してしまうと、それがうまく行っているときは、効果的なのですが、変えられなくなる。自分たちが一度推進した建前が、変化の足かせになる。

日本の意思決定過程は、アメーバ状態なのです。時々に、力を持つ人が替わる。同級生から言われたこととか、パーソナルなことによって動かされることもあるし、実権をもつ人が特定できない。

しかし、そこから出されてきた決定は「客観的な事実」ゃ「科学的根拠」に基づいたものだと、されなければならないのです。
ですから、「科学がはっきり正しい答えを出してくれる」という建前を維持しなければならなくなっているのです。

企業の人も「グローバリゼーションに対応する力」などと言います。それはとりもなおさず自分で考える人材を育てることです。ならば、企業文化において、自分たちの会社員も異議申し立てができる風土にしなければ、ならないはずです。

2. 日本社会の状況に対して、貴団体・組織がめざす貢献は何ですか?

大学教育の授業では、「わたしの論文を批判する」ことを課題に出します。社会科学も、科学であり、いま共有されている結果としての知見も、社会科学的なアプローチによって、実証され、確かめられてきた状況が背景にあるのです。もちろん、実験によって確かめることは社会科学の場合はほとんどできないし、「再帰性」によって調査者が研究対象を変えてしまうということが起こってしまうというところは自然科学と違いますが。しかし、それを補うための方法論はいくらでもあります。高校まで授業では社会問題を扱うことはありますが、教える内容がどのように明らかになったのかは全く教えず、単なる「暗記もの」になってしまう。

社会科学の考え方そのものは自然科学とまったく変わらないところが非常に多いのです。
マグロの資源管理の問題でも、「マグロが激減したから養殖」という純技術的解決とマグロを純生物学的に扱うマスコミ報道ばかりで、その間の、マグロをどのような政策のもとで管理するか、という報道はほとんどありません。

少なくとも、大学以降、高等教育においては、批判的に考えること、議論によって、現象と政策の間を埋めることを、実践的に取り組ませたいと思っています。

3. これまでの貴団体・組織の実践から、学んだこと、今後に活かしたいことは何ですか?

いま、変える手だては近くにあると思っています。原発の問題によって「専門家は信用できない」「対抗する知が必要だ」というようなことが共有されてきた。本当は前から必要だった大きなパラダイム・シフトが、ようやく今起こっているのだと思います。
故高木仁三郎さんのように、対抗知として市民科学を育てることに取り組んだ人もいます。市民一人ひとりができることはそのような対抗知を寄付によってサポートすることでもできるのではないでしょうか。

いま大切なことは、市民による対抗知を雲散霧消させないことです。

4. 今回わたしたちが開発しようとしている教材および人材育成プログラムについて、ご提案などございますか。

考える人を育てるためのものにしてください。

5. 特に、3.11以降、活動への影響には、どのようなものがございますか?

いまの状況そのものが、とてもたくさんの研究課題を示しくれています。できることから、自分の研究として、取り組んでいきたい。
批判をすることは、非常に建設的な意義を持っていて、今後、震災対応の政策について、系統的な批判を行っていく必要があると思います。

一人ひとりがいまの状況に関わっていることを知り、自分らしく関わることが大事なのだと思います。

【参考資料】
解体新書「捕鯨論争」 石井敦 編著、新評論、2011
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by focusonrisk | 2011-08-20 07:40 | 聞き取り調査

横浜国立大学環境情報院特任教授 浦野紘平氏(エコケミストリー研究会代表) インタビュー

(特活)国際理解教育センター
日立環境財団プロジェクトチーム
聞き取り調査

実施日時 2011年8月2日(火)14:15~16:45
対象 横浜国立大学環境情報院特任教授・浦野紘平氏(エコケミストリー研究会代表)
聞き取り調査者 角田季美枝、角田尚子


1. 現在の日本社会におけるリスクコミュニケーションについて、何が課題だと思われますか。

・日本は大きな事故(リスク)に対して非常に弱い社会です。リスクに対する心構えが、企業にも政府にも議員にも国民にもありません。それでパニックになってしまうのです。
・日本社会の体質として、答えをひとつにする傾向があり、答えがいくつもあるという発想をさせないというものがあります。「日本人の個性」といってもいいのかもしれませんが、横並びを好むということがあります。
・多様性を認めない社会はリスクへの対応力が乏しくなります。
たとえば、ファミレスのステーキの脇にあるニンジンの大きさが同じでないというクレームに対応するために、大きなニンジンでも半分ほど捨てられてしまうと聞いています。ステーキというメインのものではなくサイドのニンジンになぜそのようなクレームがつくのか、私には理解できません。このような均一志向が、絶対安全を信じたり、安全か危険かの二分思考につながっています。
・また、文部省の役人には自然科学系がほとんどいなかったので、教育方法に自然科学的な発想が乏しかったことも、リスクに対する科学的思考の欠如に影響していると思います。いまは科学技術庁と一緒になったので、以前よりは少しは良くなってきていますが。

2. 特に3.11以降、活動への影響にはどのようなものがございますか?

・インターネットで放射能汚染に関する情報が非常に多く出されていますが、調べてみると、初期は極端な意見も多かったのですが、大勢はまともな方向に向かっていっていることが分かりました。しかし、マスコミ報道は、偏ったままで、あまり改善されていないことが分かりました。マスコミの記者やディレクターをどうするのか、大変悩ましく思っています。また、マスコミを頼りにせずに、インターネットで多くの情報を得るようにするのがよいのか、いやでもそうなるのかなどに注目しています。

3. 日本社会の状況に対して、貴団体・組織がめざす貢献は何ですか?

・エコケミストリー研究会は、客観的な事実を示すデータと、立場や性別、年齢等々の異なる方々の多様な意見や提案を発信し、会員に考えてもらうことを心がけています。
・人間が他の動物と違う点は、過去と現在と未来をつなげて考えることができること、東日本大震災の被災地や飢餓の進むアフリカのことも考えられること、時間や空間を広く考えることです。このことを、身近な事実を通して伝えていきたいと考えています。
・ひとりひとりが、科学的にではなく、理性的に広い角度から物事を考えられるようにすることが重要です。
・「科学的にではなく」というのは、科学の歴史をふりかえれば、科学があてにならないと言えるからです。いまでは微生物の作用とわかっている病気も、昔は呪いのせいとされていました。科学ではまだわかっていないことも多いと言う謙虚さが必要です。
・いまの常識も時間がたてば常識ではなくなってしまうこともありえます。たとえば、私が若いころは。タバコを吸うのが当たり前で、床屋でサービスとしてタバコを提供していました。
・誰かが決めた「正しい」を教えるのではなく、事実を伝えること、事実の原因は科学的にわかることとわからないことがありますが、そのような中で、理性的に判断していくことの重要性を伝えていくべきでだと考えています。
・「統計や事実」と「自分の生活」をどうつなげていくかが教育なのです。いくら統計や事実を知らせても個人のことまでわからない。自分の生活とつなげで確かめる能力、考える能力をどうつくっていくかがリスク教育の基本だと思っています。

4. これまでの貴団体・組織の実践から、学んだこと、今後に活かしたいことは何ですか?

・エコケミストリー研究会は、設立以来21年、非常に幅広い団体や個人の方に会員になっていただいた本格活動以来15年もたちました。これだけの期間活動が続けられた最大の理由は、まだまだ不十分ですが、立場や年齢等が異なる会員に、できるだけ共通な関心を持っていただくために、異なった立場や見方からの最新情報と今後の方向についての意見や提案を伝えるように努力してきたことをご理解いただけているからだと思っています。
・私個人としては、まだ環境教育やリスクコミュニケーションという言葉もなかったときに『みんなの地球』という漫画入りの本を、小学校高学年と親が一緒に勉強する教材としてつくりました。その後版も重ねて120万部発行されています。この本を実際に使った層は、私が想定した小学校高学年とその親以外に広がっていました。たとえば、高専や短大はもとより、東京大学の工学部、東北大学の大学院の教科書や、会社の新入社員研修のテキストとして使われました。韓国語版や中国語版も出ました。その経験から、いかに多くの人の共通の関心事を伝えることが大切であり、有効であるかを学びました。
・環境教育、リスクコミュニケーションというような専門的な言葉を使わずに、「安心できる生活をどのようにつくるのか」というような言葉で伝えるのがよいと思います。専門用語や専門家の発想でなく、消費者、子どものセンスや発想で伝えることが重要です。
・「安心できる生活をどのようにつくるのか」という問いは、見方によっては、先進国の勝手で贅沢な思想ともいえます。一方で、原子力や遺伝子組み換え作物、多くの合成化学物質のように、先進国発の科学技術が新しいリスクを生み出しています。これらをどこまで許容していくのかを、事実を基に考えるチャンスを与えていける活動が必要だと思っています。

5. 今回わたしたちが開発しようとしている教材および人材育成プログラムについて、ご提案などございますか。

・検定教科書や文部科学省の指導要領で教える内容が決まっています。教科ごと、学年ごとで細切れになっています。しかし、実際の環境問題は、教科書の区分はもとより、科学技術の区分、行政区分や国も超えています。このため、先生が細切れの状況をつなげるように工夫し、教科書の内容で身近な生活とつなげるような教え方ができれば、子どもが授業をおもしろいと評価します。そのような教え方の種を集めたような本を出版すると良いでしょう。そのような教材で、ある程度意識はあるが、動けない先生を応援することもできます。
・環境教育に熱心な小中高の先生が使えるような教材を、身近な話題を総合的に扱うことができる教科、とくに生物、地学、家政学等を専攻していた先生をターゲットに提供するといいでしょう。
・そのような熱心な活動をしている先生の活動を発掘して公表するのもいいでしょう。
このような先生の活動を応援し、熱心な先生の居心地を良くしていく以外に教育は改善できません。
・年代別にいえば、中学生はそれぞれの個性が出てきて微妙な時期なので、小学校高学年で使う教材に絞ったほうがいいでしょう。
・「リスク」という言葉を使う必要はありません。身近な生活を理性的に見る眼をもってもらうような教材を開発してください。
・「今があたりまえではない」ということも伝えていく必要があります。たとえば自動車。交通事故による死者は年間約6,000人で、以前に比べてかなり減りましたが、それでもこれは死者だけです。けがをした人、また死者やけが人の家族を考えれば、その数は非常に多くなります。また、年間約6,000人でも3年では約2万人。今回の大震災での死者・行方不明者に匹敵します。自動車による便利さとリスクをどう考えていくかというときに、自分のこととして、また未来の社会を考えられる人をどう育てていくのか。自らにひきつけた問いかけ方が必要です。「おばあちゃんが子どもだったころ、自動車はありませんでした。自分がおばあちゃんになるときには、どうなると思いますか? それで今はどうしたらよいと思いますか?」というような問いかけです。
・身近な生活の興味を引く事実で伝えていく。たとえば、「あなたは、空気を一日に12~18kgも吸っています。その空気に有害物質が入っていたら? それを一生吸っているととどうなるでしょうか?」
ただ、身近なだけではだめで、知らないであろう身近な事実、興味を引く身近な事実を示すことが必要です。たとえば、一握りの森の土に世界の人口と同じくらいの生物がいることや、自分の身体に数十兆匹もの細菌が棲んでいることなどを知ることで、自分が自然の一部であることを学び、自分を見直すことができる。そのことがまさに環境教育です。そうすれば、あるていどのリスクは受け入れざるをえないが、リスクを減らすことはできるということもわかってもらえるはずです。

6. 教材をつくる際に、ガイドラインの検討も同時に行ないたいと思います。何か、参考にすればと思われるガイドラインはございますか?

・既存の環境教育などのガイドラインは、どれでも似たようなことを整理しています(持続可能な社会、安全・安心、平和など)ので、こういうことを伝えたいという柱をもって編集する際の参考にはなります。しかし、それは教材を編集する人のためのものですので、教材にむりやり盛り込もうとしなくても良いのです。国ごとに環境も生活も違うので、教え方は違って当然ですから。
・ガイドや本の翻訳ではなく、日本人の感覚、生活にあった表現にすることが重要です。そうしないと自分たちのこととして受け止めてもらえませんから。

【ご紹介いただいた参考資料】
・浦野紘平『みんなの地球 第3版(改訂増補版)』オーム社、2001年
・浦野紘平「基準値等とリスクセンスの磨き方」、『化学物質と環境』No.107、エコケミストリー研究会、2011年5月

(注)本稿は聞き取りをもとに角田季美枝が作成した草案を、浦野特任教授に確認・加筆修正いただいたものである。
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by focusonrisk | 2011-08-17 09:40 | 聞き取り調査

日本科学技術ジャーナリスト会議(JASTJ)会長 武部俊一さん インタビュー

(特活)国際理解教育センター
日立環境財団プロジェクトチーム
聞き取り調査

実施日時 2011年8月1日(月)14:00~16:00
対象 日本科学技術ジャーナリスト会議(JASTJ)会長 武部俊一さん
聞き取り調査者 角田季美枝、梅村松秀


1. 現在の日本社会におけるリスク・コミュニケーションについて、何が課題だと思われますか。

・そもそも日本の社会に「リスク」という考え方が定着していないことです。いまだに「リスク」というカタカナで書いています。「危険性」と訳してしまうと、リスクの危険の側面だけしか表現できません。リスクは量的で確率的な概念ですから、低いリスクは安全性の尺度とも考えられます。
・リスクで考えるということは科学・技術報道にあたる基本の作法なのですが、ジャーナリストの姿勢としてまだ十分に身についているとはいえません。リスク報道に関する「行動基準」もありません。ジャーナリズムはニュースになるということを一番においています。リスクを敏感にとらえることは大きなニュースになりますが、それがすぎるとセンセーショナリズムにおちいります。
・リスクを受け入れる側には「リスクを教えてくれる/リスクから守ってくれるのは『お上』の仕事」という考え方があり、そのような土壌はジャーナリズムにもあります。そのため、何かあると「お役所の責任」という伝え方になってしまうのです。
・リスク報道にかぎりませんが、報道の原則は①ファクトを幅広く、具体的に伝える、②危険か安全かわからない場合は、危険面を重視する、③少数意見、弱者に焦点をあてる、です。そのためジャーナリズムのスタンスは権威や現体制に厳しいものになります。
・個人的に身の回りや旅行先で「警告・注意書き」の立札を写真で収集しています。日本では圧倒的に「立入禁止」「~してはいけない」が多い。一方、欧米では「あなたの責任で」「あなたのリスクで」という指示が多い。カリブ海のオランダ領アルーバ島の高さ50メートルほどの一枚岩の小山は綱を頼りに登るのですが、入口の看板は「この石段を登るのはあなた自身のリスクで」、ハワイのキラウェア火山の真新しい溶岩のそばには「ここから先は極めて危険。溶岩原は警告なしに崩れる」という立札(一部焼け爛れている)があるものの、「進入禁止」はありません。アリゾナの渓谷には「低リスク」という看板に「水辺の活動はあなたのリスクで。ここには救助員はいません」と添えられています。自己判断で、自己責任で、自然との付き合い方をしているのです。
・大災害になるような「兆し」は研究者の調査研究から示されていますが(今回の大震災でいえば、貞観地震の大津波、個人的に追究しているテーマでは小惑星の地球への衝突)、「いつ起こるかわからない」ものは新聞やテレビでも警鐘を鳴らすようなニュース報道ではなく、「こういう研究成果が出ました」的な話題もの記事になり、社会的な対策につながるような関心をもってもらえません。とくに行政には、「いつ起こるかわからないものに対策費用を多くさけない」と見過ごされる。阪神淡路大震災に関しても、1974年に地元の『神戸新聞』が、神戸直下地震の恐れを指摘する大阪市立大学の研究者の警鐘を1面トップ記事で報じていたのですが、20年間、自治体や建設業者が対応して都市の耐震化を進めることがないうちに、大地震に見舞われてしまった。
・豊かになったため、安全に対する要求度が上がったのかなとも感じます。たとえば1960年代、部分的核実験禁止条約を批准していなかった中国の大気圏内核実験によって、日本中に放射性物質が降下していました。内閣に放射能対策本部が設置され、実験後の放射能レベルを毎日のように発表していました。そのころのニュースでは「死の灰が降ってくる」「雨にあたると禿る」などと騒いではいましたが、その時のほうが一般の反応は冷静だったように感じます。リスクに敏感になるのはいいが、風評にあおられては困る。
・原子力発電所の過酷事故(シビア・アクシデント)対策については、メーカーの技術者たちが研究や情報収集を続けてはいましたが、安全はお金儲けにつながらないのに経費がかさむと社内で却下され、実装されなかったのです。チェルノブイリ事故後にEUが出した安全指針がありますが、それに習って日本で唯一対策がおこなわれたのはベントの設置のみです。マスメディアもその点をきびしく追及してこなかった。
・(武部さんがおられた朝日新聞社の場合:記録者注)原子力の安全性報道について、編集の現場にクライアントのクレームが入ることはありません。

2. 特に3.11以降、活動への影響にはどのようなものがございますか?

・現場の記者が取材で手一杯で動きにくくなったこともあり、JASTJではOBが中心になって原子力発電所の事故や津波など、いろいろな勉強会をするようにしています。
※記録者補足
ホームページによれば、実施された勉強会は以下。
・4月例会 4月27日 「地層が訴えていた巨大地震の切迫性~貞観地震津波の痕跡からわかること~」  講師:宍倉正展氏(産業技術総合研究所/活断層・地震研究センター海溝型地震履歴研究チーム長)
・緊急報告会 5月19日 「放射線健康リスク~福島からの報告」 
講師:山下俊一氏(長崎大学大学院医歯薬学総合研究科附属原爆後障害医療研究施設教授)
・6月例会 6月14日 「日本的なシステムの諸問題」を語る 
講師 内田樹氏(前 神戸女学院大学教授)

3. 日本社会の状況に対して、貴団体・組織がめざす貢献は何ですか?

・リスクは個人によってちがっています。個人で判断することが必要です。行動の選択肢をふやすためのデータを出すのがジャーナリストの役目です。3.11以降の話題では、低レベル放射線をどう考えるか、があります。どこかで線引きをしないといけません。リスクを受け止める覚悟が必要なのですが、わかったうえでの決定をひとりひとりができるよう報道していかなければなりません。
・放射線被曝で日常レベルで問題なのは医療被曝です。最近、被曝線量が高いCTが開業医にまで普及し、やたらに使うというような風潮にもなっています。この背景には、CTの購入の初期投資が莫大ということがあります。BSE対策で全頭検査の対策がとられましたが、JASTJ会員でもある唐木英明・東京大学名誉教授は論文「全頭検査神話」(『日本獣医師会雑誌』2007年6月号)で「消費者が望むのであればどんなに小さなリスクでも可能な対策はするべき」という行動を批判し、「対策を必要とするリスクは多い。科学的な正当性に基づいて費用対効果の計算を行い、リスクの相対的な大きさに応じたリスク管理を行うことが社会的公平につながる」としています。食品や健康にからむリスクは微妙な問題もありますが、相対的にリスクをみるという視点はリスク報道で配慮しなければならない視点です。
・リスクとの付き合い方に習熟するような社会にしていくことに貢献していきたい。そのために、さまざまなリスクに絡む研究者の研究調査のデータを、リスクに関する考え方をそえて報道していくのがいい。データは見る人が見ればわかるのです。
・記者の行動規範を作ったほうがいいという人もいますが、作ったとしてもジャーナリストは守りそうもありません。報道の自由は、基本的に制約や規制を嫌います。それぞれの記者や組織の自主的な判断と責任に基づいて報道姿勢を律するのがいいのではないでしょうか。そして読者や視聴者が監視し、きびしく選別すべきでしょう。
・日本科学技術ジャーナリスト会議として、会員同士が研究・調査・討論する勉強会、科学技術に関する「何でも検証プロジェクト」(※)をすすめており、原子力もテーマに加え、軽水炉、高温ガス炉、高速増殖炉、核融合について検証を進めて行く予定です。成果は、会議のウェブサイトで公表するほか、書籍として出版できればと思っています。
※記録者補足
日本科学技術ジャーナリスト会議で現在進行中の検証プロジェクトのテーマ
・スーパーコンピューター
・小水力
・耐震住宅
・ワクチン
詳細は日本科学技術会議のウェブサイトを参照のこと。
http://jastj.jp/?p=161
・日本ではいままで死亡事故でもないと問題にならず、解決に向かいませんでした(たとえば回転ドア)。文化として科学技術とつきあう覚悟のある社会にしていくことに貢献していきたい。そのような社会の原則は、正しい情報を十分与えられた上での自己決定です。科学技術の便益の裏に隠されたリスクをあばくのがメディアの役割だからです。
・リスク覚悟の社会構築には以下の条件を満たす必要があります。
--リスク情報が正確に、わかりやすく公開されていること
--情報の受け取り手が正しく理解して合理的な判断をすること
--リスクを最小限にする技術的、社会的仕組みが整えられていること
--個人的便益と社会的コストの間でバランスがとれていること
 こうした点をデータに基づいて読者に伝えることがリスク報道に求められます。
 たとえば、今回の震災でいえば、適切な避難を促す措置がとられたか、避難した人がもとに戻れない状況をどう報道していくのかがあります。三宅島の火山噴火のときも、本土に避難した住民がなかなか島に戻れなかった。日本では、お役所の判断に逆らって避難地域に残る人は非難されるような風土があります。「自分の判断で帰ってください」といえるような情報を提供していくことが必要ではないかと思います。アメリカのセントへレンズ火山が爆発したとき、山小屋のおじさんは政府勧告があったにもかかわらず自らの信念で残り、死亡しました。しかし国民からその行動を非難するような声は出ず、むしろ賞賛の声があがりました。
・低確率の天体衝突や長期的リスクの温暖化など宇宙・地球規模の人類全体の危機管理は科学的にもまだわかっていないことが多く、どのように備えるかを伝えることがむずかしいものです。ただ問題が起きてから対策をとるのでは手遅れです。わかっていることをふまえてわずかなリスクであっても「予防原則」にもとづいて報道することも必要です。

4. これまでの貴団体・組織の実践から、学んだこと、今後に活かしたいことは何ですか?

・いまから20年ほど前、アメリカで開催された環境報道のシンポジウムに参加したとき、環境保護庁(EPA)から、「環境報道を説明する」という小冊子が配られました。そのなかでジャーナリストの特性を「科学よりも政治にニュース価値を置く」、「安全よりも危険にニュース価値を置く」、「危険か安全かの二つに単純化する」、「記者は真実ではなく、見解を取材する」、「記事を特定の個人の話に仕立てる」と紹介していました。ニュース報道は意見を書かず事実を伝えるものです。しかし、これらの点はリスク取材・報道の欠点をよく突いているものとして、「リスク取材の戒め」としています。
・テクノロジー・アセスメントの制度化に資するような活動を進められたらと思っています。リスク・コミュニケーションはテクノロジー・アセスメントと表裏をなす活動です。科学ジャーナリストはテクノロジー・アセスメントの視点で報道していますが、現実には経済性のほうが大きく取り上げられて技術が社会に出てしまいます。科学ジャーナリストが技術の負の側面を伝えることが必要です。原子力はもとより、たとえばリニアモーターカー、ナノテクノロジー、携帯、コンピュータによる教育など。長い目で見た心身や環境への影響を伝える必要があります。

5. 今回わたしたちが開発しようとしている教材および人材育成プログラムについて、ご提案などございますか。

・初等教育、中等教育にリスクの考え方を入れることを進めていただきたい。それはリスク情報を評価すること、リスクに敏感に問題提起すること、リスクに慣れること、自分の身は自分で守ることを学ぶことです。低リスクに対するつきあい方が大事ということを学校教育で学んでほしい。
・最近、お母さん方が危ないことを子どもにさせなくなっています(たとえば、要望によって公園の遊具も使えなくすることもある)。まともにころぶことができない子どももいます(ころぶ時に手が前に出ず、顔に怪我をしてしまいます)。リスクに対する精神的、肉体的敏捷さがありません。命は大切にしながらも、人生はある程度リスクをおかして楽しむことができることも学ぶほうがいい。

注1 上記、見解については個人的見解である。
注2 本稿は聞き取りをもとに、参考資料の情報を追加して角田が作成した草案を、武部さんに確認・加筆修正いただいたものである。

【ご紹介いただいた参考資料】
・武部俊一「『安心』と『覚悟』を制御するリスク・コミュニケーションと報道」、『予防時報』239、2009年
・武部俊一「『想定外』を見通す想像力」、『日本科学技術ジャーナリスト会議 会報』No.59(震災特集 臨時増刊号)、日本科学技術ジャーナリスト会議、2011年5月
・武部俊一「天災を人災にする『想定外』」、『無限大 No.129 2011年 夏』日本アイ・ビー・エム株式会社、2011年
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by focusonrisk | 2011-08-17 09:33 | 聞き取り調査