研究会記録(その2)

日 時:2012年2月25日(土)13:00-16-00
場 所:ERIC事務所
参加者:上田昌文、梅村松秀、角田尚子、上村光弘、高柳葉子、角田季美枝、福田紀子、三宅叶夢
内 容:             
(1)本日の検討課題
(2)ゲーム「ネゴシエート・キラー」の評価
(3)リスクに対するさまざまな立場について(以上、記録その1)
(4)リスクコミュニケーションの評価の視点
(5)評価の共通のキーワード、自由討議

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(4)リスクコミュニケーションの評価の視点                                              

・活動:評価の視点を挙げる(ひとりずつ→共有)

 ■コミュニケーションをしていく中で自ら判断出来るようになる事が大切。

 リスクは様々。自分は何を重視するのか?
 どのリスクを受け入れるのか、受け入れないのか?
 コミュニケーションをしていく中で、コスト•ベネフィットなどを考えて、自分で判断出来るようになることが大事。
 例えば「修学旅行に日光に行くか?否か?」と問われた時に、私はある答えをもっているが、なぜそうするのかが大切。決まった結論がある訳ではない。そのための知識やデータも必要でしょう。そして、自分にとっての選択は、誰かにとっては違うものかもしれない。そのようなことを示しながら,相手とやり取り出来る事がリスクコミュニケーションだと思う。
 科学者が言ったからこうだ、ではなくて状況によって受け止め方が違っていい問題がある。人々は一つの答えを知りたがっていても、それでは対処出来ないことが多い。
 はじめから科学者に決めてもらう問題ではないというのがリスクだと思います。

■アクションに繋げられたか。

 他者—自分を客観的に考えたか?
 その場で判断出来る事ではないかもしれないが、評価の視点になる

■リスクのコストとベネフィットそのものを疑うこと。考えているかが評価につながる。

 セルフマネジメントするための条件が各人によって違う。
 自分の条件を知った上での選択力が必要。コスト•ベネフィットの相関を疑う必要がある。

■社会が育つ—選択の多様性=リスク分散

 条件カードがそれぞれ違う方がおもしろい。
 自分の条件を受け入れる。多様な条件がある事を受け入れる。
 例えば地域の中にも多様なエネルギー源をもっていた方がよい。
 他者のそれぞれの選択を認める。

■他の人のリスクを受け止められる。
 
リスクの多様性と、判断の多様性を認める、受容出来る。

■自分なりの宿題ができればいい。

 トレードオフ、評価の視点を自分のものとしてもちかえられることができれば、成功。
 一般的な結論を与えられるようなもの、○×ではかられる、テストされるのは違う
 しかし、基本的な理解は必要。確率、トレードオフ、コスト•ベネフィット、マネジメント他、共通して理解すべき事もある。
 平均値=中央値ではない。

■多様なリスクの認識を得たか

■意見や立場の違う人と出会えたか

■自分が大切にしたい価値や倫理を深める事が出来たか

■意見や立場の違う人と共通に得る利益や価値を得る事が出来たか

■他者の意見を聞きながら自分を客観的に見る事が出来たか — 個からの出発


(5)共通キーワードと自由討議                                                   

評価の基準は再度検討していきたいが、今日のディスカッションで出た共通のキーワードは以下のとおり。

●共通のキーワード
 ○コストとベネフィットがある
 ○リスクは確率である
 ○マネジメントする事が出来る
 ○それは選択である
 ○選択は価値観である
 ○「違い」がある
 ○「違い」があるからこそ、「自分」から出発する事が大事

●リスク教育推進の課題

以上を踏まえて、さらにリスク教育を進める上での課題について、時間の許す限り、ブレーンストーミングを行った。発言順に紹介する。

■(リスクコミュニケーションについて)
確かに価値観や選択に違いがあるのだが、それが“人はそれぞれ”で終わる相対主義に陥らないようにしたい。コミュニケーションであるかぎり、価値観の違う、リスクの捉え方が全く違うような人たちとやりとりできるところまでもっていけたのか、を問いたい。

例えば、低線量が危ないという人もいれば、100ミリシーベルトまで全く大丈夫だという人もいる。両者のやり取りがあまりない。本当はリスクを社会で納得する為には両者が完全合意する訳でなくても、そのやり取りを創っていく事が大事。それをどうやって創っていけるかという事が大きな問題。

■それを考えるには「なぜやりとりできないか」ということを考えなくては行けないのだと思う。それは私たちがやってきたことにもつながる。
「参加の文化をはばむもの」として、3高の人々、肩書きが高い、年齢が高い、学歴が高い人々の存在がある。このような人々は“対等に”話し合えない。パワーを持っている人々と対等に話し合う文化がないので、パワーを持っている側が決めている。だからこそ、やりとりできない。様々な課題解決の参加の場でそのことにぶつかる。

■それはある。そこをどういう風に突き崩していけるか、変えていけるかというのが、一番大事。例えば政府も一般民衆の声が大きくなれば変えざるを得ないというのがある。それが基本的に民主主義というものだ。民主的な原則に乗って、どこまでパワーを持っている側に変えていく事を迫れるかが問われている。

リスクコミュニケーションというと言葉としてきれいに聞こえるかもしれないが、結局はそのパワーを突き崩していく、どこまで入っていけるかという事にどうしても関わってくる。

原発はその典型。被害が放射能汚染で一挙に広がったので問題視されているが、実際は原発の事故が起るか起らないかを決めるのは本当に動かしている、パワーを持っている側だけなんです。一般の人がどうこう言おうが、本当に事故を起こさないようにするという事に関与出来るかというと無理なんです。しかし、エネルギー政策として原発はいらないという声が大きくなれば、それはやらざるを得ない。そういう意味でつながりはあるのだが、ごく限られた人のみで動かすシステムがあったということが、問題だった。パワーの問題はどうしても関わってくる。

今はそのパワーが変わる時期なのだが、放射線被害に関しても、エネルギーの選択に関してもパワーを持っている側は従来のやり方を変えようとはしていないので、ぎくしゃくすることがいっぱい起っている。

一般市民の側もそこを見抜いた上で発言していかなくてはならないが、例えばリスクの事を「ウチの子どもを守る」というだけで走ってしまうと、そのことまでいかない。「原発はあぶない」と言っているだけでは電気料金の事は解決しない。

■(市民の立場も)つながりがもっと持てたら、(パワーの側の)つながりを見抜いた上でどのように持っていけるかを考えなければ。

■問題がこれだけ複雑で重層的に見える、“お手上げ”感がある。だからこそ簡便な政策を求める。わかりやすさを求める先には、ポピュリズムにつながる可能性も高まっている。たとえば「がんばろう!日本」というフレーズはその内容を問う事無しに拒めない等。

■東京都の副知事が「東電の値上げに承服出来ない」と言う。副知事だけではなく、私たちも言っていい事なのに言えない。言うすべを知らない。本当はすごくわかりやすい毎日の事なのに、言っていいし言えるはずの事なのに、そこが見えない。

■言えないだけではなく、言ったとたんに自分の家の電気切られたらどうしよう、と思う。

■本当は違うはずなのだが、東電から切られたら、別のところから買いますよ、自家発電しますよ、という人が100人いたら変わる。違ったアプローチ、有効な「わかりやすさ」もあるはずなのだが、まだ、私たちのものになっていない。

■政策的に方向性の違うどちらの側もその「わかりやすさ」を掲げようとしているのでしょう。

■STS(Science, Technology and Society)は今どのようになっているのですか?

■今言ったような問題意識で議論をして欲しいのだが、学会としては取り組めていない。

■学会はがっかり。声明を出すくらい。

■声明を出すところはまだ、やっているほう。政策を変える、自分たちの課題をもつところまではいっていない。

■このあたりも分析したい。ただ、日本学術会議のシンポジウムに出ても、あまり評価出来なかった。結論ありき。要するに100ミリシーベルト。座長がだれもそれまでに発言していないのに、それぞれのシンポジストの発言は複雑で多様であるにもかかわらず、学術会議の副会長がつとめる座長だけが「100ミリシーベルトは安全だって事ですね」とまとめる。

その場で異議を唱えるチャンスも与えられない。質問や発言が出来る所ではなかった。科学者の集まりで結論ありきではどうかと思う。

■学会の対応等もまとめることもありかもしれませんね。

■震災/原発のことについての学会の対応について、途中までフォローしていたけれど、もういいか、となった。

■巨大サイエンスの持っているリスクというのもある。意思決定が遠い。9月までの間に変わる可能性もあったと海外のジャーナリストが言っているが、何が代わる事を妨げたのか。

■野田政権誕生、というのはシンボリックに見えますね。

■鈴木達治郎という政府と原発を推進してきた方が、もう、新規立地は出来ないし、実質的に40年をめどに脱原発は決まっている、8月31日に決まっていると言っていた。前原さんも別の会で同じ事を発言していた。私たちにはそのことは伝わっていない。

■新規立地はなくても、現存の原発をどうするか、は言っていない。産業を守るため、電力需要を賄う為に必要だとする意見もある。また、日本では新規は無くても海外には輸出するという問題もある。

■運動の側も、9月に新しい目標を設定出来ていない。新規立地は無いので40年以内に集結するのであれば、次はどこへ向かうのかという示し方ができていない。自分の3.11熱はいつさめたかを共有するとこの時期になるのではないか。脱原発というのが分かりやすいので、それにすがったのではないか。1月に脱原発世界会議を行ったが、推進の側にとっては、すでにわかっている事。

■会議の中でネクストステップは可視化しなかったのか?

■アピール文は出ている。自然エネルギー、分散型エネルギーなどの提案はあるが、大きな運動として何をやるのかは出ていない。巨大科学の解体はSTSでも言われていない。大前提だから。コミュニケーションをする、コンセンサス会議のような手法を上田さんたちが実践してきたが、「プロセス」が必要。

■リスクコミュニケーションにとって、何が課題か。「声を上げ続ける事しか無い」というのが脱原発会議でも言われていた。ただ、イシューがそこにはなかった。日本の民主主義のデザインが求められている。

意思決定はわたしたちがやっているのだ、ということを可視化してほしい、わかるようにして欲しい。
高級官僚を選ぶとか。政治家は選ぶが、最高裁裁判官ですら低調。行政に関するチェックができていない。立法府しか選んでいないので。司法は国民の関心が低い。

■自治体の首長、議員は選挙があるが?

■原発の事で言えば、経済産業省の政策を内側から変えていく事は難しい。結局変えさせる事が出来るのは政治家だが、実は政治家がよく知らないので、経産省にふりまわされている、という構造がずっと続いている。

一方で原発をつくれば地元の利権がらみでお金が入ってくるといううま味をもらえるという構造があったので、自民党政権時代は変わる事は無かった。

民主党になって変わるかと言われると、素人ばかりで経産省の役人に対抗出来る人はいない。

経産省は原発の新規立地はできないことはわかっているが、今までの電力会社との関係を含めて利権を手放したくはないので、原発輸出や再稼働など、いろいろなことをやっているはず。核燃料リサイクルの維持さえ考えている。手放していない。その人たちをどのように変えていけるかが大きな問題のはずなのだが、そのことは挙がっていかない。

■地域の雇用とつながっているから、挙げにくいのでは。

■それはすごく大きい。一番動かしている本人たちをどう変える事が出来るのか,政治の側から考えていかなければならないのだが、その考え方がみえないというのが一番の問題。

■1980年代のアメリカの本「Cooperative learning, Cooperative Lives」協力しなければだめだという本の中で、「競争を学ぶ」学校教育の問題が挙げられている。これが「官僚」にあてはまる。
 「自分が負けるようなゲームはしたくない」
 「勝つとわかっているゲームには参加する」
 「勝たないと気が済まない」
High Achieverこそが、
 リスクを避ける。
 リスクを受け付けない
 新しいタイプのアクティビィティには参加しない。

と言っている。これが官僚の態度に重なる。
とすれば、学校教育を学んだ結果がこうなる。彼等は学校の競争で勝ってきた人たち。その人たちが負ける事を受け入れるはずがない。“病”だなと思った。

■外側から見た時に、そのような批判はされてきた。『官僚の責任』など古賀さんなども。外からは言われても、内側は変わらない。

■彼等はゲームデザイナーなので。ゲームをデザインする時に、FairnessとかPower Shared、あるいはDiversityなどからは一番遠いことを考える事はあり得ない。「力の分有」「対等性」「みんなの参加」。電話での質問だけでヒアリングしました、各団体に電話しました、となる。

学校を変えなければならない。学校で競争を学び取ってきた人たちを変えなければならない。中等教育、18歳までの教育を競争原理でないものにしなければ公教育である事の意味が無い。

しかし、そのためにどうすればいいのか?

■マイケル・サンデル氏の白熱教室の追加番組(*3)で、4—5名の日本人の出席者が共通して「自由競争」に肯定的であることに驚いた。「価値観」「公正さ」「正義」等ではなく「自由な競争があることがよいこと」を前提にされていた。

■だいたいプロスポーツ選手を呼んできて、個人的には良い人であっても、業界の原理が違う。

■「子どもの教育のもつ原理」と「自分たちの持つ原理」が違うことに気づいていない。

■まだ、ジャパネット高田さんのほうがオーディエンスに対する幅広い視野があった。みんなに売らなきゃならないから。「勝つ事が正義」のプロスポーツの特異性がわかっていない。良い競争があり得るんだ、となる。その成果が報酬になるという特異性がわかっていない。

■外国人の学生の中には、ある問題に対するために価値観について述べる人もいたが、日本を代表する人たちは「競争は良いこと」とつくられていた。
 
■もともと「白熱教室」というのは、哲学的に考えるとはなにかの、ものの見方考え方を教えるところだった。しかし、あの番組では「答えの無い問題を語り合わなければだめだ」というメッセージになっていた。「それはひとつの価値観で答えを出していける時代ではないから」というものであったと思う。それは新しい展開だったと思う。なぜ、話し合わなければならないのか。

■競争が一種のゲームとしてあるのは良いと思う。オタクの世界。いろんな情報を収集し、競争する。好きだから。しかし、世の中の競争にはかならず報酬や何かがあって、他人と比較し合って、給料に反映される等そこに全体が流れるというのがおかしい。
 
■価値がすべて市場価値に集約されるわけですね。

■そう、それがおかしい。就活のきびしさがいわれているが、これは将来に対して相当おかしなことになるのではないか。100人の市民活動があったときに、1人くらいちょっと違う事をやってもいいかなと思える人がいてもいいはず。20代は苦しくても30代になったらようやく見えてくるという人生設計があってもいいと思うのだけれど、そこには踏み込めない人が多い。

■それは80年代からいわれていた。メインストリーム、つまり人生の選択の幅が狭すぎる。

■自分で生活を支える力が無い人にリスクが高くなる。震災でも、引っ越し出来るひとは引っ越す。仕事を選べる人は選ぶ。

■液状化をかかえた浦安でも、若い人はもうどんどん出て行っている。今までアパート暮らしをしていて、浦安が好きだけど、アパートが傾いたので出て行く。補助も何も無いので何千万円かの修理は家主が直すしかない。個人の責任ではないのに。

浦安だけで3000人の人たちが出て行っている。家主のほうも、傾きの修理だけなら数百万だが、液状化に対して地盤を整備すると1千万かかるので、お手上げ状態。各戸でなくブロックごとに地盤整備するとやすくなるので、呼びかけるNPOがやっと出来た状態。

■震災の跡地も、土地の財産権が復興にネガティブに働いているということも聞いた。平地にするまでにも、公的な投入があった。自衛隊を派遣し、行政の予算を使い、ボランティアが手伝い、平地に戻したわけだが、個人の財産権のみしか見えていない。

■社会的な力が低下している。

■そこは政治の力で、大きな計画を立てて、多少無理があっても、将来に向かってこうやるべきというものがあれば、と思う。

■彼等も“中央”ではない。常に上を見て動いていた。上見て動いていたら何もしてくれなかった。岩手県知事が、こんなに政府の担当者が変わるのであれば、霞ヶ関に日参していた時間を地域をまわる事に使えば良かった、と。

■…この話しは終わらない。このような場をどういう風につくっていけば良いのか、ですね。

(補足情報)
*3「マイケル・サンデル 究極の選択 『大震災特別講義~私たちはどう生きるか』」2011年4月6日、NHKで放映。ゲストは石田衣良、高田明、高橋ジョージ、高畑淳子;この内容は5月、緊急出版された。https://www.nhk-book.co.jp/shop/main.jsp?trxID=C5010101&webCode=00814832011
「白熱教室」については以下を参照してください。
http://www.nhk.or.jp/hakunetsu/harvard/lecture/120218.html

(文責:福田紀子)

*本記録は、福田紀子が草案をまとめ、参加者に確認のうえ、加筆修正したものである。
また、ブログにアップするにあたり、角田季美枝が形式を整える、補足情報を入れるなど、若干編集を行った。
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by focusonrisk | 2012-04-25 23:51 | 勉強会・記録