特定非営利活動法人 市民科学研究室 代表理事 上田昌文さん(その3)

(特活)国際理解教育センター
日立環境財団プロジェクトチーム
聞き取り調査

実施日時:2012年2月25日(月)10:00~12:30
対象:特定非営利活動法人 市民科学研究室 代表理事 上田昌文氏
聞き取り調査者:角田季美枝、角田尚子、福田紀子


3. 教育、とくにリスク教育について思うことはございますか?

生活知と教育現場の科学知の乖離という問題というか、最近、こういうことがありました。

講演会で「日光に修学旅行に行くことのリスクをどう考えているのか」という質問が出ました。そこで私は、「多少高い線量かもしれないけれど、2、3日なら長期間いるわけではないので、それほど大きなリスクはないのでは」というニュアンスで答えました。

それを聞いた人がショックを受けたのです。それは学校で自分の子どもを日光に行かせないという運動をしていたお母さんでした。上田さんがこんなことをいっていたと自分の地元で皆に話したら、メールで批判が届きました。

つらつら考えると、日光に行く・行かないの二項対立で考えると話が進まないことがわかってきました。修学旅行で日光に行かないということを決めた学校があるとします。当然、修学旅行は日光以外にも選択はあるわけで、それは問題がありません。ところがその選択は仮に正しいという社会的認知ができて、すべての学校はここ2、3年、修学旅行に日光に行かないことにしましょうとなったらどうなるでしょうか。日光の観光業者はつぶれます。そのリスクは誰が負うのかという話になります。日光に行かないことで外部被曝のリスクはなくなりますが、他のリスクとどうバランスよく考えるかは残るわけです。

一気に飛び越して「危ないところに行くのはよしましょう」という論理だけですべて語られることがあっていいのだろうか、ということです。

もちろん、すごく大きなリスクなら話は別だと思いますが、日光に2、3日いることは、一回レントゲンを浴びたらすぐに超えちゃうような線量です。そのことのバランスをどう考えるのか、それを議論したうえで学校としてはどうすると決めるならいいと思うのです。そうではなくてただたんに「危ない!」という保護者の声に負けてしまった、「じゃあ、今年はやめます」というふうな動き方だけで決まるとすると、実はいろいろ問題をはらむのではないか。

そういうことを含めて講演会などで丁寧に説明できればいいけれど、結論だけぱっと取り上げてとなってしまうと、話がややこしくなってしまうのですね。

リスクコミュニケーションの問題に戻ると、生活者はいろいろなリスクにかかわっていて
いろいろな科学技術に日々ふれているのですが、それを定量化して自分の曝露状況を調べるとか、どういうリスクが発生してくるか、もう一歩踏み込めばいくらでも考える素材はあるのに、なかなかそこまで踏み込めていません。

研究を企画して一緒にやりませんかというと、貴重なデータを取れる人はいっぱいいるのです。さきほど電磁波の24時間計測の話をしましたが、計測は実はすごく大変なのです。
自分の分刻みの行動記録をとるとか、家庭の中の家電製品の詳しい図面を描くとか求められますから。しかし、そういうことを体験することで本人も育っていくのかなと感じています。そういう関係が市民科学にはいっぱいあります。教育と銘打たなくても、教育効果はいろいろなところで発揮できると考えています。

例えば先ほどリストアップした質問の「あなたが一日台所で使う水の消費量どれぐらいですか?」ですが、どうやったら計ることができると思いますか?

シンクに大きなごみ袋をはりましょう。使った水をその袋に入れましょう、水を入れたごみ袋をもって一緒に体重計にのりましょう。そして自分の体重を引けばいいのですね。

そういう簡単なことでいいのですが、生活のなかで意外と貴重なデータを得られることは多いのです。そういうことを学校教育などいろいろひろげていくことができればと思います。

実はこれは昔の『暮しの手帖』が商品テストでやっていたことなのです。ここの商品テストはおもしろかったのですが、IHの2回特集でメーカーにたたかれたせいか(*補足情報8)、あれ以降、商品テストが商品紹介になってしまったようです。

身近なものの技術を自分なりに批評するのが、そういうところから育たないのは非常に残念です。

IHの商品テストの時も単にIHのことだけをいっているわけではありませんでした。商品を並べて比べて分析することを、身近なことでやっている点が重要なのです。いまの教育にはそれが欠落しています。

暮しの手帖社に商品テストの企画を持ち込んでみたこともありますが、中立性ということで持ち込み企画の商品テストはしないという方針だったようです。

国の機関であれ大学であれ企業の機関であれ、分析装置をもっていてきちんとしたデータを出せるところなら、手を組んでデータを出していくという方向で進めていかないと、あまりにも自分に閉じこもっているとやれることが限られてしまいます。オープンなつながり方をどうやってつくっていけるのかという方向で今後考えていかないと、正直対応できません。

電磁界の測定でも高周波をきちんと測ろうと思うと、とても高価な測定器が必要になります。大学でないと持っていない機械です。ところが大学に話をもっていくと、私たちの立場をいかがわしく思われてしまうわけです。「国の基準で認可されているものをあらためて測定することを私たちはしません」と、大学の先生は平気でいうのです。

研究費をもらっている側からすれば、国にたてつくような種類の研究をするような団体と提携するのはどうなのか、みたいに思われたのでしょうか。それはちがうのです。「あなたたちのやっていない研究デザインをもっているから一緒にやりませんか」といっているだけなのです。そこを乗り越える何かをみつけていかないと。どの分野でもこのような課題を抱えていると思います。

データなしにものをいっているということは、リスクコミュニケーション的にも重要な問題です。

計れるものがあり、計れる対象も計るべき対象もあるのに、そこをすっとばして危ない・危なくないに容易にいってしまうのは、両者にとって本当によくないことです。生活者の側から計る側に自分が変わっていくというスタンスに持っていくことが重要です。


補足情報(8)
IHクッキングヒーターの特集は『暮しの手帖』第四世紀2号(2003年1月)。それに対して関西電力ほか電力業界からの反論を受け、3号(3月)でさらに検証した特集を組んでいる。暮しの手帖では商品テストの内容などはインターネットで紹介していないが、以下で概要を知ることができる。
http://www.kanagawalpg.or.jp/txt/setnews2003.html
http://www.ene-web.com/fujikoyu/member/cheers/0304.html


4. 今回わたしたちが開発しようとしている教材および人材育成プログラムについて、ご提案などございますか?

ひとつには生活者の科学のあり方の理論化を痛感しています。

受け止める側からどうとらえて問題が起きたときに対処するかという整理の仕方が不足しています。

たとえば、ヒューマン・バイオロジーのような、自分の体のことを発生の段階から理解する、学ぶことはあたりまえのはずだが、日本の保健体育、理科でどれぐらい扱われているのか。微々たるものです。

電気がどこから送られているか、それは電気代にどれぐらいはねかえっているかについても教えていません。

学校で、およそ科学とはいえないような、結果だけを鵜呑みにするような教え方がされています。生活者と科学のかかわりは多くあるのですが、日本の理科、家庭科の教育ではほとんど抜け落ちたままです。そこを系統的に組み合わせてつなげていかなければなりません。理科室でするのが科学であると、ぜんぜんそうでないのにそう思わされているのです。科学の日常化というか、科学の社会的側面を理解する必要があります。

その次にいいたいのは、既存の研究機関と消費者グループなどの運動グループとが容易にやりとり(計測器の貸し借り、インターンシップなど)ができる制度的なものが足りないということです。個人的なつながりを通じてしか大学との提携ができないのにはいらいらさせられます。

いろいろな大学に「サイエンスショップ」ができ、市民や企業とつながりができるといいのではないかと思います。サイエンスショップというのは、オランダで開発された、大学の外から研究課題が与えられて大学院生が1~2年間研究して社会に公表する仕組みです。

また、日本全体にいえることですが、多くの市民にとって、生活することと政治意識のつながりが見えないままなので、「生活を良くするために政治的な手段を使う」という主体性を身につけることが必要です。

日常の買い物にしろ、政治的な側面があるのですが、そういうところに意識が育っていません。今回の放射能が典型的です。学校は保護者と行政との対立の板ばさみで、自ら話し合いの場を作って動くということができない。保護者も、自治体はどうしてくれるんだ、ちゃんとしてくれというばかり……という構図ができあがってしまう。

最後に、政策形成や科学技術研究開発のシステムに関する知識が科学者にあまりにも少ない。これは本当に困ってしまっています。

総合科学技術会議で何をしているか、ほとんどの研究者が知りません。科学技術基本計画は誰がどう決めてどう自分の生活にかかわってくるのかについても、関心がありません。科学はお金がないといけない事業です。研究プロジェクトを動かす人は、全体の動向を知っていないといけません。大学院生でこれから科学者になろうという人であれば、うちのボスがどうやって研究資金を調達しているのか把握していないとまずいと思います。

ボスは政治的に動いているのですが、政治的に無自覚です。国の動きに加担していることなので、お金をとってきただけではすまないところがある、という点がわかっていません。研究のお金のめぐり方、回り方の問題であり、原子力はその典型です。外側から見たらどう見えるかがわかっていません。そこを自覚してもらわないと困るのです。

お金の流れをどう見える化できるかについて、明らかに大学、国の行政だけではなく、マスコミを含めてうとかったと思っています。原子力をめぐるお金の動きを調べてみましたが、一番公表したい内容もあるけど、公表したらたたかれるだろうなと思っていることもあります。つまり、お金を動かしている側(例えば経産省の担当官)の経験からみたら、こちらが「これはこうじゃないか」という解釈をしたら、「あいつわかっていない」ということがけっこうあるだろうと思います。

公表するには全体構造がわかるように、かつ、内部の関係者がはっと感じるよう、工夫しないといけません。そうしないと相手と話ができなくなってしまいます。

大きなお金の動きについては、国会議員でも必ずしも全体構造がわかっているとは限りません。どう提起していくべきか・・・・・・。

科学技術社会論学会のようなところが本当は踏み込んでほしいのに、メインストリームの話が出てきません。自然科学や工学の研究において、本当に革新的・先端的なことを研究している人は全体の1~2割。のこりは、私の印象では、既存の研究の穴埋め作業的なことを延々とくりかえしています。たとえば電磁場の人体影響について言うと、Aという研究では、こういう動物に電波をあててみたらこういう範囲の影響が出ました。Bではちょっと曝露条件を変えてみたら、データがこうなりました。それが新しい論文になっています。つまり、今の基準を変える必要がありませんという論文をいっぱい出しているわけです。

総務省の電磁場の人体影響に関する研究枠では毎年20億円出ています。調べてみたら、受け取っている研究者も毎年同じ顔ぶれです。明らかに似たような結論を出すような研究に、国民の税金を使っているわけで、研究者の良心があるのかといいたくもなります。ただ、それを覆して批判するのは大変困難です。

*本記録は、角田季美枝が原案を作成し、上田さんに加筆修正いただいたものである。なお、補足情報は国際理解教育センターで追加した内容である。
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by focusonrisk | 2012-04-04 11:35 | 聞き取り調査